– 20代、手織りと出会うまで –

1月14日、成人の日ですね。
当時、「成人式にはちょんまげ袴で出るんだ!」と息巻いていた僕は、古着好きもあいまって全力で髪を伸ばし、それこそ、襟足が肩甲骨に届くくらいまで伸びていたころもありました。
ごそごそしてみたらあの頃の画像が出てきたのでちらり。


ちょうどハタチの頃、吉祥寺はハモニカ横丁に足を踏み入れ始めた時です。

ちなみに今はこれ。

農家のおじさん?

いやいや気を取り直して、当時は花火大会でもないのに浴衣を着ては街中を歩いてワクワクしていましてた。
僕は自他共に認める服好き、いわゆるファッション野郎だったんですね。
一般大学には行ったものの、時間があれば原宿、渋谷、青山、代官山、下北沢、高円寺、時に町田、帰郷の途中下車で柏とか、服屋があるところ所構わず行けそうな街には足を運んでいました。
毎日違うコーディネートじゃなくちゃ気が済まないし、スタイリングを考えることが楽しくってしょうがなかったです。
バンドマンに憧れて、パンクロックよろしくライブに行きまくり、ベースを弾いてバンドの真似事をしていた時期もありました。
それでも仕事として従事したのはもっぱら飲食業ばかり。
料理好きの兄と都内で二人暮らしをしていた時に、料理の楽しさ、飲み歩きの面白さを教えてもらい(教え込まれ?)始めての就職先はラーメン屋さんでした。
7時から22時半まで働き、それから仲間と飲みに行って始発で帰り、2~3時間寝てから仕事へ行く、なんて日もよくありました。
若かったなー。
そんな生活の中でも、パンツを自分で染め直したり、穴が空いたら刺繍糸でステッチ入れて直したり、古着屋巡りを続けたり、、、手を動かしながら、服に近い時間も変わらずありました。

その後、キャンディの輝きに心奪われハンドメイドキャンディーショップへ入店。
たまたまつけたテレビから流れてきたのはちい散歩。
地井さんが街を歩きながらふと入ったそのお店では、液体のキャンディが色付けされて練られ、形がどんどん変わって最後はキラキラ輝くキャンディになるまでの一部始終が目の前で繰り広げられていました。
「温かいキャンディのご試食どうぞ〜」なんて、練り上げたばかりのキャンディをびよーんて伸ばして切って試食であげてたり。
これだこれだ!
僕のやりたかったのはこれだ!
この仕事には飲食業の楽しさと物作りの楽しさと、両方があるじゃないか!
そう思ったらやってみなきゃ気が済まないのは、亥年生まれのB型だから。
スタッフ募集もしていないのに、電話をかけたり、履歴書送ったり、はたまたそのお店のオーナーが海外で修行してきたことを知ったら現地のそのお店まで行ってみて、また働きたいってお手紙書いてみたり。
若かったなー。
今さらながら、結構迷惑かけていたと思います、、、、。
改めて、お騒がせいたしました。。。
そうしてどうにかこうにか入店し、キャンディ職人への道をまっしぐらに突き進んでいた20代中盤。
とある休日、相変わらず大好きな吉祥寺の街中を歩いていた時に見つけた看板の文字に惹かれ、とあるマンションの一室に飛び込んでいきました。

—  糸、売ってます。—

つづく。