金子哲雄さん

先日、写真家 幡野広志さんの本を読み、不治の病の末に至った死生観を知り、思い出した方がいます。
流通ジャーナリスト 金子哲雄さん。
41歳、肺カルチノイドで亡くなられたのですが、著書を僕は以前に読んでいたのです。
2010年頃でしょうか。テレビをつければ映っているというくらい目にしていた方で、独特の話し方、声が印象的でした。
正直、特に意識していた方ではなかったのですが、ニュースでお亡くなりになったことを知り、その後書店で目に入った著書の題名が気になり読んでみた次第です。
「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」金子哲雄 著(小学館)
今日、ふと思い出して久しぶりに読んでみました。
働き盛りのど真ん中に不治の病を宣告され、死へと向かいながらも働くことを貫き、奥さまと共に生き抜いた金子さん。
生前に、自分が亡くなった後の手配をすべて済ませて旅立たれた金子さん。
そんな金子さんを最後の最期まで支え、寄り添った奥さま。
金子さんの病気が発覚してからお亡くなりになるまでが鮮明に綴られていて、まるでお二人のやり取りが目の前で行われているようでした。
たまらない気持ちになりながら読み切った夕方。
どんな言葉で表していいか分からないのですが、ずっと手元に置いて、またいつかふと思い出した時に読みたい。
そうして、大切な人をもっともっと愛して、家族や関わってくれるみなさんに感謝して、僕なりの精一杯を生き抜きたい。

梅雨の晴れ間

梅雨の隙間になったような週末でしたね。
ここぞとばかりにゴーシュのお庭を草刈りしたり、グミの木を剪定したり、花壇をしつらえてみたり、いつの間にか生えてきたかぼちゃにベットを敷いてあげたり、、、、。
こうした庭仕事をできることが、ゴーシュを初めてよかったことのひとつにあったりします。
都内にいた29歳のころ。ぼんやりと土に近い暮らしがしたいと思うようになりました。野菜の種や、農薬のことも気になりだした頃だったと思います。
つくばに戻って、畑をしながら手織りをする、なんて暮らしもありかも?なんて思い始めていたあの頃からしたら、びっくりするような今だなー、なんてちょっとなぜか感慨深くなってみたり。
7月でゴーシュも3歳になります。
コロナ禍で未来が見通せないのは誰もが一緒ですし、だからこそどんな未来を築いていけるか、いきたいのか、めまぐるしく変わる状況を見つめながら、今の最善を探していきたい。


藤森照信さん

前からお名前と建築は知っていましたが、先日の情熱大陸にてお人柄を知り、これがまたとってもとーっても素敵な方でして、ジュコさんと二人でもう、なんだか泣けてくるね!と言いながら観ていました。
なんでもそうですが、突き抜けた人はやっぱりステキ。
聞けて嬉しかった言葉や、知れて嬉しかったことなどもちろんありますが、その藤森さん自身の雰囲気、価値観がたまらなかったです。
ゴーシュみたいな場所に興味を持ってくださる方なら、みんな好きになってしまうんじゃないでしょうか。建築も、その人自身も。
そうそう、僕も建築に興味が湧いたのもゴーシュと出会ってからなのです。
Tverなどネットで放送も観れますし、藤森さんの書籍や写真集も色々出ております。改めて、チェックしてみよう!
会いたい人がまた一人増えてしまった、、、、。

都知事選挙

目が離せません。都知事選。
4年前はちょうど僕が東京からつくばに戻ってきたタイミング。
そして今はつくば市並木にてゴーシュを開いて、手織りと共に暮らしを重ねています。
僕自身の状況も、世の中のことも、まったく想像していなかった未来に立っている今なんだ、と思うと、この今こそが未来なんだと思わずにはいられません。
都内で働いていた頃は、選挙の度に行ける時は気になる候補者のお話を聞きにまわっていました。自転車だったり、電車だったり、休みの日は都内をぐるぐる動いていました。
今思えば、お仕事を安定した環境でさせてもらっていたからなんだな、としみじみ思います。
僕が政治に興味を持ったのは、東日本大震災がきっかけ。
暮らしの足元が大きく揺らいだ感覚がありました。
そうして、会社員を続けながら自分なりの社会参加を考えた結果、独立してつくばに戻る道を選びました。
それにしても都知事選。
日本の人口約1割が集まる東京。
僕の青春が詰まった東京。
つくばに戻ったからって、遠くの話にはなりっこありません。
仲間たちがたくさん住んでるし、未来の仲間だってたくさんいる。
みんなと話をしながら、しっかり見届けたい

ゴーシュインスタで以前はちょくちょくアップしていた、ゴーシュの本棚シリーズ。先日の読書記事を書いてから、改めて本っていいなぁ、と。
そこでまた本棚シリーズを今日から再開してみましたよ。(内容はゴーシュインスタをチェックしてくださ〜い!)
だからかたまたまか、今日いらしたメンバーさんが本を1冊、ゴーシュに寄贈してくださいました。草木染めの本なのですが、友人から譲り受けたものがたまたま自分の本棚にもあったとかで、巡り巡ってゴーシュの元へ。
しかし、昨今は知りたいことがあったらすぐにグーグル先生が答えてくれます。
YouTubeで世界のみなさんが動画で教えてくれます。
本の出番は何処へ?!
いやいや、ニッチな世界はまだまだありまして、本でなければ知りえなかった、出会えなかったであろう情報が、体験があるのです。(あると思う)
最近染め糸を触っているのですが、そのより良い扱い方なんてネットではなかなか見つからなかったりします。あったとしても、うーん、、、、となってしまったり。僕のリサーチ能力が低い、ということも大いにありそうですが、やっぱり本の存在って大きいと感じてしまいます。
知識としての情報はもちろんですが、装丁や紙の質感、ページをめくる動作、厚み、背表紙、全体のサイズ感、色んな知覚情報があります。
最近では読み物ではなく、見るものとしての本にも接するようになりました。
本を購入する理由は増える一方。
物はそんなに増やしたくないと思っているはずなのに、面白いものです。
本棚はその人の頭の中、と言いますし、みなさんとコミュニケーションを取る意味でも、ゴーシュの本棚シリーズ、続けていこうと思います。

読書

写真家 幡野広志さんの本を読んでいます。
35歳で治らないがんになり、余命3年の宣告を受けておられる方です。
1冊目「ぼくが子どものころ、欲しかった親になる。」は母から勧められて、2冊目は、ゴーシュの本棚にあった前述の本を見て、こちらもぜひ、と貸してくださったメンバーさんから。
読みたいと思って手に取った本が溜まりに溜まってなかなか減らず、読みたい本ばかりが増えて、読んだ本が増えない僕ですが、幡野さんの本は読み続けずにはいられませんでした。もちろん面識なんてありませんし、メディアで拝見したこともありません。ブログやSNSすら見ていません。でも、読まずにはいられませんでした。感情が、記憶が途切れる前に1冊を通してしっかりと読みたかった。
不思議な感覚でした。
先日ネットで見かけて強く興味を持った方の書籍を、すぐさまamazonで購入しました。これは読みたい、これからの自分に必要な気がする!と読み始めたのですが、どうにもページが進みません。いつも見える場所に置いて、毎日触れるのですが、なかなか速度はあがりません。
どちらの本も、著者ご本人の経験、知識、感情、想い、意志がこもった人間味のある内容であるはずなのに。
つよいことば、やさしいことば。
いきていることば。
にんげんのことば。
本は、今も変わらず僕に僕を教えてくれる存在です。

母が甘えてくれるようになりました。
もともと虚勢を張るような人ではありませんでしたが、僕たち子供には心配をかけまいと、それが当たり前のことと頑張るような、そんな母でした。
昨日の朝、急に母から家族のグループLINEに連絡が入りました。

「脈がいつもより早くて、気持ちが悪い。」
「昨日の夜からで、朝起きても治らない。」
「運転したくない。医者に連れて行ってくれないか。」

先週3度目の心房細動の手術をしたばかりの母。
ドキッとしました。
一昨日は天気が良く、梅雨入り前に整えたい、と畑仕事を頑張ったそうです。
いつもなら、ちょっとしたことではこんな連絡はしない母です。
ふた事返事で、実家へ向かいました。

結果大事には至らず、”陽の下で畑を頑張りすぎたのだろう””熱中症になりかけて、心臓が驚いたのだろう”というような事でした。
「頑張りたい、頑張れる」という気持ちに反して、ブレーキをかける身体。
しんどかっただろうなぁ。

人一倍健康には気をつけている母。
無意識にでも頑張ってしまう母。
仕事の日に急に悪かったなぁ、と謝る母。
助かったよ、ありがとうございます、と丁寧な母。

連絡ありがとうね、いつでも電話してきてね、大丈夫。
これからは、僕らが甘えてもらう番です。
たくさん、寄りかかってくださいね。

そうそう、手術室へ向かう車椅子へ乗る前、母は僕に向かってニコニコ笑いながら、両手を大きく広げました。それもYの字くらい大きく。
僕は母をハグし、背中を軽くポンポンとしました。
テレビで抱きしめ合うことは健康にいいと言ってた!と、先月くらいから会う度ハグをせがみます。
僕らの母、みさおちゃんはとってもかわいい。
チャーミングだ。
ちなみに、ジュコさんもみさおちゃんと会う度一緒になってハグしてくれる。
酒寄家の女性たちは、みんなかわいい。

かたづけ

整理整頓をする癖をつけたいと思っているのですが、なかなかうまくいきません。この一ヶ月でずいぶん整えられたぞ!と思っているのですが、目隠しにしているカーテンの裏側に少しずつ物を溜め込んでしまうんですね。ちょいっと置いて後で片付けようと思ってはいるのですが、その後の時間になると違う事が目の前にやってきて、結果同じ場所に物が溜まっていくという循環?になっています。2週間前はあんなにきれいになったのに、、、!なんて、お庭の草木たちの成長っぷりと物が溜まるのと、どちらが早いかな?なんてものです。
それに比べ、テレワークでゴーシュのひと部屋がアトリエになったうちのカミさんはと言いますと。
いかに快適にいい仕事ができるかは整理整頓にかかっているのですね、と思わざるを得ない整いっぷりです。
書くとまさしくそれはそうだなぁ、ということなのですが、本当に見ていて気持ちがいいです。
僕がストックルームとは名ばかりの物置にしていたひと部屋を、この一ヶ月くらいで見事に自分のアトリエ(仕事部屋)に変身させております。
通常業務をしながら、あれやこれやと配置を変えては試しながら、自分の心地いい環境を作っていく様は、本当に唸ってしまうほどです。
それをそばで見ている僕はなるほどなるほど、やっぱりそうですよね、そういうことですよね、と背筋伸ばして、後でしようと思った片付けのひとつをし始めるのでした。

月に1着、仕立てをしたい。なんて言いながら、5月は手織りキットを作ったり動画を撮ったりしていてあっという間に過ぎていってしまいました。。。。。
織っていなかった訳ではもちろんないのですが、それも嫁ぎ先が決まっている生地のお仕事だったりしまして、自分ごとはなかなか手が進みませんでした。
そうそう、給付金申請も不備があるということで戻ってきてしまったりして、どういうこと?!と調べていたらあっという間に2~3時間は経つ訳で、、、、。
当たり前ですが、思ったようにスムーズに事が進むなんてまずありませんよね。
何かトラブルがあったら、前より状況がもっと良くなるチャンス!と思って、不向きな事でも頑張らないと楽しなりません。
頑張るぞー!とささやかにお腹の下へ力を入れて、デスクワークですくわーく。
猫背にも気をつけなくっちゃ。
世の中を見渡すと、ちょっと気持ちが苦しくなるようなニュースが増えてきましたように感じます。こんな時こそ手を動かして、頭と心を柔らかく保ちたいものです。

ミシン

ミシンを踏んでいると思い出す情景があります。

家族5人で並んで眠っていたあの頃。
不意に目を覚ました夜更けに眠気まなこでうすぼんやりと
ふすまから差し込む蛍光灯の光

ダカダカダカダカダカ、ダカダカダカダカダカ、、、、

不規則に、ゆっくり、しっかり、何かが動く機械の音
そのリズムがなんだか心地よくて
またすーっと眠りに落ちていく

穏やかで暖かい、幼少期の記憶。

母が縫ってくれていたものはなんだったかな
上履き袋かな
なんでも入る魔法の手提げかな
一人一枚と言われた雑巾だったかな

僕は最近、お仕事でミシンを踏んでいます

とは言っても、工場さんに頼むような数のある仕事ではなく
かといって専門の特別な技術が必要な縫い物でもありません

手で縫うには強度が足りず、ちょっとだけ数があるような
僕みたいな縫い物好きにはちょうどよい規模感のお仕事です

布を織ること、手織りの心地よさをお伝えしていたら
ミシンをする時間も増えました

物作りは可能性を生み出すことだと思っています

思い出の音だったミシンの音が
誰かの未来の可能性になれますように