読書

写真家 幡野広志さんの本を読んでいます。
35歳で治らないがんになり、余命3年の宣告を受けておられる方です。
1冊目「ぼくが子どものころ、欲しかった親になる。」は母から勧められて、2冊目は、ゴーシュの本棚にあった前述の本を見て、こちらもぜひ、と貸してくださったメンバーさんから。
読みたいと思って手に取った本が溜まりに溜まってなかなか減らず、読みたい本ばかりが増えて、読んだ本が増えない僕ですが、幡野さんの本は読み続けずにはいられませんでした。もちろん面識なんてありませんし、メディアで拝見したこともありません。ブログやSNSすら見ていません。でも、読まずにはいられませんでした。感情が、記憶が途切れる前に1冊を通してしっかりと読みたかった。
不思議な感覚でした。
先日ネットで見かけて強く興味を持った方の書籍を、すぐさまamazonで購入しました。これは読みたい、これからの自分に必要な気がする!と読み始めたのですが、どうにもページが進みません。いつも見える場所に置いて、毎日触れるのですが、なかなか速度はあがりません。
どちらの本も、著者ご本人の経験、知識、感情、想い、意志がこもった人間味のある内容であるはずなのに。
つよいことば、やさしいことば。
いきていることば。
にんげんのことば。
本は、今も変わらず僕に僕を教えてくれる存在です。

母が甘えてくれるようになりました。
もともと虚勢を張るような人ではありませんでしたが、僕たち子供には心配をかけまいと、それが当たり前のことと頑張るような、そんな母でした。
昨日の朝、急に母から家族のグループLINEに連絡が入りました。

「脈がいつもより早くて、気持ちが悪い。」
「昨日の夜からで、朝起きても治らない。」
「運転したくない。医者に連れて行ってくれないか。」

先週3度目の心房細動の手術をしたばかりの母。
ドキッとしました。
一昨日は天気が良く、梅雨入り前に整えたい、と畑仕事を頑張ったそうです。
いつもなら、ちょっとしたことではこんな連絡はしない母です。
ふた事返事で、実家へ向かいました。

結果大事には至らず、”陽の下で畑を頑張りすぎたのだろう””熱中症になりかけて、心臓が驚いたのだろう”というような事でした。
「頑張りたい、頑張れる」という気持ちに反して、ブレーキをかける身体。
しんどかっただろうなぁ。

人一倍健康には気をつけている母。
無意識にでも頑張ってしまう母。
仕事の日に急に悪かったなぁ、と謝る母。
助かったよ、ありがとうございます、と丁寧な母。

連絡ありがとうね、いつでも電話してきてね、大丈夫。
これからは、僕らが甘えてもらう番です。
たくさん、寄りかかってくださいね。

そうそう、手術室へ向かう車椅子へ乗る前、母は僕に向かってニコニコ笑いながら、両手を大きく広げました。それもYの字くらい大きく。
僕は母をハグし、背中を軽くポンポンとしました。
テレビで抱きしめ合うことは健康にいいと言ってた!と、先月くらいから会う度ハグをせがみます。
僕らの母、みさおちゃんはとってもかわいい。
チャーミングだ。
ちなみに、ジュコさんもみさおちゃんと会う度一緒になってハグしてくれる。
酒寄家の女性たちは、みんなかわいい。

かたづけ

整理整頓をする癖をつけたいと思っているのですが、なかなかうまくいきません。この一ヶ月でずいぶん整えられたぞ!と思っているのですが、目隠しにしているカーテンの裏側に少しずつ物を溜め込んでしまうんですね。ちょいっと置いて後で片付けようと思ってはいるのですが、その後の時間になると違う事が目の前にやってきて、結果同じ場所に物が溜まっていくという循環?になっています。2週間前はあんなにきれいになったのに、、、!なんて、お庭の草木たちの成長っぷりと物が溜まるのと、どちらが早いかな?なんてものです。
それに比べ、テレワークでゴーシュのひと部屋がアトリエになったうちのカミさんはと言いますと。
いかに快適にいい仕事ができるかは整理整頓にかかっているのですね、と思わざるを得ない整いっぷりです。
書くとまさしくそれはそうだなぁ、ということなのですが、本当に見ていて気持ちがいいです。
僕がストックルームとは名ばかりの物置にしていたひと部屋を、この一ヶ月くらいで見事に自分のアトリエ(仕事部屋)に変身させております。
通常業務をしながら、あれやこれやと配置を変えては試しながら、自分の心地いい環境を作っていく様は、本当に唸ってしまうほどです。
それをそばで見ている僕はなるほどなるほど、やっぱりそうですよね、そういうことですよね、と背筋伸ばして、後でしようと思った片付けのひとつをし始めるのでした。

月に1着、仕立てをしたい。なんて言いながら、5月は手織りキットを作ったり動画を撮ったりしていてあっという間に過ぎていってしまいました。。。。。
織っていなかった訳ではもちろんないのですが、それも嫁ぎ先が決まっている生地のお仕事だったりしまして、自分ごとはなかなか手が進みませんでした。
そうそう、給付金申請も不備があるということで戻ってきてしまったりして、どういうこと?!と調べていたらあっという間に2~3時間は経つ訳で、、、、。
当たり前ですが、思ったようにスムーズに事が進むなんてまずありませんよね。
何かトラブルがあったら、前より状況がもっと良くなるチャンス!と思って、不向きな事でも頑張らないと楽しなりません。
頑張るぞー!とささやかにお腹の下へ力を入れて、デスクワークですくわーく。
猫背にも気をつけなくっちゃ。
世の中を見渡すと、ちょっと気持ちが苦しくなるようなニュースが増えてきましたように感じます。こんな時こそ手を動かして、頭と心を柔らかく保ちたいものです。

ミシン

ミシンを踏んでいると思い出す情景があります。

家族5人で並んで眠っていたあの頃。
不意に目を覚ました夜更けに眠気まなこでうすぼんやりと
ふすまから差し込む蛍光灯の光

ダカダカダカダカダカ、ダカダカダカダカダカ、、、、

不規則に、ゆっくり、しっかり、何かが動く機械の音
そのリズムがなんだか心地よくて
またすーっと眠りに落ちていく

穏やかで暖かい、幼少期の記憶。

母が縫ってくれていたものはなんだったかな
上履き袋かな
なんでも入る魔法の手提げかな
一人一枚と言われた雑巾だったかな

僕は最近、お仕事でミシンを踏んでいます

とは言っても、工場さんに頼むような数のある仕事ではなく
かといって専門の特別な技術が必要な縫い物でもありません

手で縫うには強度が足りず、ちょっとだけ数があるような
僕みたいな縫い物好きにはちょうどよい規模感のお仕事です

布を織ること、手織りの心地よさをお伝えしていたら
ミシンをする時間も増えました

物作りは可能性を生み出すことだと思っています

思い出の音だったミシンの音が
誰かの未来の可能性になれますように

持続化給付金

ご多分にもれず、ゴーシュもこちらを申請することになっています。
といっても、悲観的な気持ちとか、切羽詰まった気持ちというよりは、世の中の仕組みを全身で感じる(感じざるを得ない)いい機会と考えています。
(これまでもそんな出来事はたくさんあったわけなので、何を今頃あれれこれれとなることもないのです。)
なかなかに苦手なデスクワークをしていると、もうですね、「めっちゃ織りたい!ものづくりしたい!」って体の真ん中がうずいてきてしょうがありません。
パソコンからふと目をそらせばそこにはゴーシュの棚にたくさんの糸、糸、糸。
あれとこれを合わせてこんなイメージの布を織りたいな。
またベストも仕立てたいな。
コースターのサンプルももっと織りたいし、メンバーさんへの動画も撮りたいし。
そうだそうだ、ヤマモモの木で試し染めもしたいのだった。
剪定の枝が山ほどあるので、色遊びは止まるところをしりません。
こうしていると、僕はやっぱり「作る人」なんだな、と思います。
手と体と、全身使って形作って、できたー!って笑いたい。
そのためにも、今はパソコン仕事、しっかりやらなきゃだ、、、!

YouTube

クオリティはともかくせっかく作った動画なので、織り機の作り方という情報としては悪いものでもないはずだし、、、とインスタTVだけでなくYouTubeにもアップしたのですが、検索に全く引っかからない!
どうしたものかと調べていてふと気がつきました。
びっくりするほどたくさんの動画アップ人口がいるYouTubeに、今からゴーシュが出て行ったところで、どれほどの人に見てもらえるのだろう、、、と。
今している、これからもしようとしている努力はちょっと間違っていそうだぞ、と。

もっとしなくてはいけないのは、「手織りをしたくてもできない人」とか、「おうち時間でやること無くなってきて、子供との関係もちょっと大変かな?になってきそうな方」とか本当に必要としている人に届けたいわけであって、ならばこれまで全くしてこなかったYouTubeで頑張るのではなくって、メインで発信してきたインスタグラムでしっかり分かりやすく、かつ、見やすく発信していくことが、僕ががんばるべき所な気がしました、、、、!
自分が得意な所で、得意だと思えるところで頑張らないでどうするんじゃい!
と、思った所で、YouTubeはひとまずそんなに力入れないことに決めました。。。メンバーさん向けのおさらい動画とかのアップに使うまでにする方が今は良い気がしています。
ゴーシュの動画はひとまず、インスタグラムTV(@atelier_gauche)でのチェックをどうぞよろしくお願いいたします、、、、!

インスタライブ

インスタライブをし始めてまだ3回くらいなのですが、告知してからするのは以外と緊張するものですね。。。。
その場のテンションでふわっと配信するのはいいのですが、時間が決まっていると「あと5分、あと1分、、、、」とかひとりカウントダウンが始まったり、「告知したはいいけれど、見てくれる方いてはるんやろか、、、」というような考えもしなかったような心配事が出てきてしまったりするもので。
始まってしまえばあとはなるようになれ!で進めてしまうのですが、設定が違うだけで感覚が変わるのはほんとに何事に対しても面白いものですね。
しかしながら、コロナの影響でこれまでできなかったことができるようになったり、しなかったことをやってみたら以外といいかもしれないぞ?!となったり、これまた大きな内的な変化となっております。
オンラインのコミュニケーションは本当に不慣れなのですが、インスタライブで言えば絵文字のリアクションがあるだけで嬉しいですし、コメントなんてきた日には、手元そっちのけ、話していることそっちのけでお返事しちゃいますし、お顔が見えない方々と一方的な壁打ちキャッチボールみたいな感じで思っていたものが、全然そんなことありませんでした。
ゴーシュに来れなくってもこうしてみなさんとコミュニケーションできるんだから、ライブや動画配信も活動のひとつに組み込んでいったら楽しいですよね。
ほんと、やりたいことが止まらないって楽しくって大変だわもう!

多様性と共感力

多様性、共感力について。
今日の朝刊への寄稿があったのですが、僕も思うことがあり書いてみます。
僕は作家活動を始めてから気がついたんですね。

「自分は共感欲が強い人間なんだな」
「多様性って大切」

それは今も変わらないし、これからもきっとそうだと思うのですが、その文では共感できる人たちが集まると、少ないやりとりで物事が進む心地よさがあるあまり、違う意見を排除してしまうことがある、と。
それは、多様性を無くしてしまうことに繋がるから気をつけたいですよね、と。

本当にそうだな、と改めて腑に落ちました。
自分と違う意見があるからこその多様性で、その意見と向き合うことで自分の価値観が増していく。もっとたくさんの物事を受け止めることができる。共感はできないかもしれないけれど、理解をすることができる。もっと色んな世界へ向かう原動力になる。

手織りを始めてから、障がいを持つ方々との接点が生まれました。
それまで直接触れ合ったことのない方々で、始めはどう接したらいいか戸惑ったものですが、やりとりが重なるとなんのことはなく、それもそれぞれの個性だと感じるようになりました。
自分の価値観で多様性という言葉を使っていたな、と今になって思います。
知らないことを知ることで身につく共感力と、そこで知る多様性。

新聞をとりはじめて4ヶ月ほどですが、毎朝何かしら「ふむふむ、へ〜」があります。ちょっとざらっとした質感をめくる感触も心地いい。

知っていたことを思い出す経験もまた、楽しいものです。

今日は何を着ようかな

大型連休で、ただでさえ人に合わなくなっている中もっと人と合わなくなっています。そうすると、自分にとって、「自分のためにしていること」と「人と会うから気をつけてしていること」が見えてくるなーと思った朝。
お洋服でいうと、今までパンツは同じでトップスだけ変えている日もあったのだけれど、これからは毎日違う服を着るようにしたい。
特別なものじゃなくっていいから、ちゃんと着替える。
今日は何着ようかな。
そう考えた結果、同じパンツが履きたい!ってなったらいいのだけれど、(おろしたばかりの服はやっぱり毎日でも着たくなっちゃうし)そこに「今日はどうしようかな」を意識していれていきたいなー、と思いました。
ストール織るときだって、何色にしようか毎回考えるし、織りながらだって考えてる。経糸作るときだって、どこにどんな色を配置しようかな、と考えるし、そんなコーディネートのストレッチにもなりますものね。(書きながら思った!)
お仕事系で言いますと、おうちで手織りのサンプルつくったり、ネットショップのシステム改善作戦だったり、庭木がら糸の染料作るための下準備だったり、、、これからへ向けての準備をしている状況でしょうか。
生活環境はどんどん変わっていくし、7月でゴーシュは3周年ですし、仕組み自体も織りたい方にとって、ゴーシュにとってより柔軟な形にしたいと調整中です。
ゴーシュが始まった時に思い描いた未来が、これからの世界でも変わらず目指せるのか、そんなところから見直さないといけません。
頭の中がいつも柔軟で、その時々に合わせて変化していけるように、いつも身につけるお洋服は、やっぱりいつも違う服がいいな、なんて思いました。
そういえば、うちの奥さんは毎朝クローゼットの前で
「今日は何着よっかなー」
と言っていたっけ。