持続化給付金

ご多分にもれず、ゴーシュもこちらを申請することになっています。
といっても、悲観的な気持ちとか、切羽詰まった気持ちというよりは、世の中の仕組みを全身で感じる(感じざるを得ない)いい機会と考えています。
(これまでもそんな出来事はたくさんあったわけなので、何を今頃あれれこれれとなることもないのです。)
なかなかに苦手なデスクワークをしていると、もうですね、「めっちゃ織りたい!ものづくりしたい!」って体の真ん中がうずいてきてしょうがありません。
パソコンからふと目をそらせばそこにはゴーシュの棚にたくさんの糸、糸、糸。
あれとこれを合わせてこんなイメージの布を織りたいな。
またベストも仕立てたいな。
コースターのサンプルももっと織りたいし、メンバーさんへの動画も撮りたいし。
そうだそうだ、ヤマモモの木で試し染めもしたいのだった。
剪定の枝が山ほどあるので、色遊びは止まるところをしりません。
こうしていると、僕はやっぱり「作る人」なんだな、と思います。
手と体と、全身使って形作って、できたー!って笑いたい。
そのためにも、今はパソコン仕事、しっかりやらなきゃだ、、、!

YouTube

クオリティはともかくせっかく作った動画なので、織り機の作り方という情報としては悪いものでもないはずだし、、、とインスタTVだけでなくYouTubeにもアップしたのですが、検索に全く引っかからない!
どうしたものかと調べていてふと気がつきました。
びっくりするほどたくさんの動画アップ人口がいるYouTubeに、今からゴーシュが出て行ったところで、どれほどの人に見てもらえるのだろう、、、と。
今している、これからもしようとしている努力はちょっと間違っていそうだぞ、と。

もっとしなくてはいけないのは、「手織りをしたくてもできない人」とか、「おうち時間でやること無くなってきて、子供との関係もちょっと大変かな?になってきそうな方」とか本当に必要としている人に届けたいわけであって、ならばこれまで全くしてこなかったYouTubeで頑張るのではなくって、メインで発信してきたインスタグラムでしっかり分かりやすく、かつ、見やすく発信していくことが、僕ががんばるべき所な気がしました、、、、!
自分が得意な所で、得意だと思えるところで頑張らないでどうするんじゃい!
と、思った所で、YouTubeはひとまずそんなに力入れないことに決めました。。。メンバーさん向けのおさらい動画とかのアップに使うまでにする方が今は良い気がしています。
ゴーシュの動画はひとまず、インスタグラムTV(@atelier_gauche)でのチェックをどうぞよろしくお願いいたします、、、、!

インスタライブ

インスタライブをし始めてまだ3回くらいなのですが、告知してからするのは以外と緊張するものですね。。。。
その場のテンションでふわっと配信するのはいいのですが、時間が決まっていると「あと5分、あと1分、、、、」とかひとりカウントダウンが始まったり、「告知したはいいけれど、見てくれる方いてはるんやろか、、、」というような考えもしなかったような心配事が出てきてしまったりするもので。
始まってしまえばあとはなるようになれ!で進めてしまうのですが、設定が違うだけで感覚が変わるのはほんとに何事に対しても面白いものですね。
しかしながら、コロナの影響でこれまでできなかったことができるようになったり、しなかったことをやってみたら以外といいかもしれないぞ?!となったり、これまた大きな内的な変化となっております。
オンラインのコミュニケーションは本当に不慣れなのですが、インスタライブで言えば絵文字のリアクションがあるだけで嬉しいですし、コメントなんてきた日には、手元そっちのけ、話していることそっちのけでお返事しちゃいますし、お顔が見えない方々と一方的な壁打ちキャッチボールみたいな感じで思っていたものが、全然そんなことありませんでした。
ゴーシュに来れなくってもこうしてみなさんとコミュニケーションできるんだから、ライブや動画配信も活動のひとつに組み込んでいったら楽しいですよね。
ほんと、やりたいことが止まらないって楽しくって大変だわもう!

多様性と共感力

多様性、共感力について。
今日の朝刊への寄稿があったのですが、僕も思うことがあり書いてみます。
僕は作家活動を始めてから気がついたんですね。

「自分は共感欲が強い人間なんだな」
「多様性って大切」

それは今も変わらないし、これからもきっとそうだと思うのですが、その文では共感できる人たちが集まると、少ないやりとりで物事が進む心地よさがあるあまり、違う意見を排除してしまうことがある、と。
それは、多様性を無くしてしまうことに繋がるから気をつけたいですよね、と。

本当にそうだな、と改めて腑に落ちました。
自分と違う意見があるからこその多様性で、その意見と向き合うことで自分の価値観が増していく。もっとたくさんの物事を受け止めることができる。共感はできないかもしれないけれど、理解をすることができる。もっと色んな世界へ向かう原動力になる。

手織りを始めてから、障がいを持つ方々との接点が生まれました。
それまで直接触れ合ったことのない方々で、始めはどう接したらいいか戸惑ったものですが、やりとりが重なるとなんのことはなく、それもそれぞれの個性だと感じるようになりました。
自分の価値観で多様性という言葉を使っていたな、と今になって思います。
知らないことを知ることで身につく共感力と、そこで知る多様性。

新聞をとりはじめて4ヶ月ほどですが、毎朝何かしら「ふむふむ、へ〜」があります。ちょっとざらっとした質感をめくる感触も心地いい。

知っていたことを思い出す経験もまた、楽しいものです。

今日は何を着ようかな

大型連休で、ただでさえ人に合わなくなっている中もっと人と合わなくなっています。そうすると、自分にとって、「自分のためにしていること」と「人と会うから気をつけてしていること」が見えてくるなーと思った朝。
お洋服でいうと、今までパンツは同じでトップスだけ変えている日もあったのだけれど、これからは毎日違う服を着るようにしたい。
特別なものじゃなくっていいから、ちゃんと着替える。
今日は何着ようかな。
そう考えた結果、同じパンツが履きたい!ってなったらいいのだけれど、(おろしたばかりの服はやっぱり毎日でも着たくなっちゃうし)そこに「今日はどうしようかな」を意識していれていきたいなー、と思いました。
ストール織るときだって、何色にしようか毎回考えるし、織りながらだって考えてる。経糸作るときだって、どこにどんな色を配置しようかな、と考えるし、そんなコーディネートのストレッチにもなりますものね。(書きながら思った!)
お仕事系で言いますと、おうちで手織りのサンプルつくったり、ネットショップのシステム改善作戦だったり、庭木がら糸の染料作るための下準備だったり、、、これからへ向けての準備をしている状況でしょうか。
生活環境はどんどん変わっていくし、7月でゴーシュは3周年ですし、仕組み自体も織りたい方にとって、ゴーシュにとってより柔軟な形にしたいと調整中です。
ゴーシュが始まった時に思い描いた未来が、これからの世界でも変わらず目指せるのか、そんなところから見直さないといけません。
頭の中がいつも柔軟で、その時々に合わせて変化していけるように、いつも身につけるお洋服は、やっぱりいつも違う服がいいな、なんて思いました。
そういえば、うちの奥さんは毎朝クローゼットの前で
「今日は何着よっかなー」
と言っていたっけ。

仕立て

今日は仕立てをしました。
服を作るのは2~3年ぶりでしょうか。
今だからこそ、服を作りたい。
自分で織った布で、自分が着るための、自分の服を作りたい。
そう思って、お気に入りのベストで型を取り、手付かずに取っておいた布を裁断し、手元にある材料で作れる物を形作ろう!とボタンもリボンテープも、押入れをガサゴソガサゴソ。
初めて仕立てをした時のように、ドキドキしながら。
でも、たくさん仕立てをしていた東京時代を思い出しながら。
どうせ作るなら、ちゃんと着れる物がいいな。
でも、布に無駄が出ないほうがいいな。
シルエットも綺麗に出したいな。
いわゆる手織りの服じゃなく、自分が作りたくて作った、自分だけの服にしたい。
そうだ、もっともっと自由でいいのだ。
少しくらい形が変でも、左右がずれててポッケの形が違くたって、そんなのおかまい無しでいいのだ。
色合わせだって、柄合わせだって、奇をてらうこともなく、型にはめようとするでもなく、自分の手を動かしてみて、気持ちが楽になる方に進めばいいのだ。
普通の形のベストだって、布はどこにもない、自分が織った一枚だけの布なのだから、それこそ本当の一点ものだい。
どこかで見たことあるような、そんな布だっていいのです。
自分で織りたくて織った布なのだから、普通に見えても、ありふれて見えても、それはどこにもない、自分の布なのだ。
ベスト、ベスト、マイベスト。
自分で自分の服を作るって、こんなにもワクワクドキドキするんだったね。
こんな気持ち、独り占めなんてもったいない。
早くみんなに、おすそ分けさせておくれ。

剪定した枝葉を片付け、ジャガイモの芽かきをして土寄せをし、グリーンピースのために支柱を立てたりしていると、この植物たちが育つことにも菌は関わっているんだよな、なんて思いつつ、何を考えていても、どうしていたって進んでいく自然の営みの眩しさに、気持ちを揺さぶられます。

今日はゴーシュの什器配置を少し変更してみました。
もう少し織り機の間にゆとりがあるといいかな、でも、ソファーはある方がすこし狭く感じてものんびりできる雰囲気になるかな、サンプル作品も色々見てもらいたいから棚は無くせないな、、、。
今は、また会いたい人たちがゴーシュに来てくれた時に、やっぱりまた来てよかった!って思ってもらえるように、色々整える時間をもらったのだと思います。
お庭も広いし、手織りは時間がかかるので、幸い仕事には困りません。
でもたまにはのんびりすることだって、仕事のうち?でしょうか。
誰かを想ってすることは、どれだけ時間がかかってもいいものですね。
什器の配置も、一度動かしたらあそこにあれが欲しいとか、これもあったらいいなとか、今なら自分でつくればいいね!とか。
どうも僕は人に動いてもらうより、やっぱり自分が動いた方が気持ちがいいようです。

今すべきこと

今するべきことは何だろう、と思います。

今日は、メンバーさんへメールをし、展示会へご来場くださった方々へ、2週間経ちましたので、健康確認のメールをし、ゴーシュのオンラインストアをオープンさせ、tsutaeのブログを更新しました。
少し織り機の前にも座りました。

時間は誰にも平等なはずなのに、使い方次第でまったく違う流れ方をします。
要領よくやらないと、あっという間に1日は過ぎていってしまうし、その時々に必要なことをしているつもりでも、夜になって、今日もやろうと思っていたことが全部できなかった、、、なんてことも多いです。
今日のメールだって、一斉送信したらいいのかもしれないけれど、お会いした方々を思い浮かべたらできる限り一人一人に対して送りたくなってしまう。
これまで以上に毎日で変わっていく状況に対応していかなくては、本当に半年後どうなっているか分からない、という気持ちがあります。

でも、そんな今だからこそ、ひとつひとつのことに心を込めたいと思います。
要領よくなんてしなくていいから、1日で全部できなくていいから、ひとつひとつ自分なりにできる限り、心を込めたいです。

やらなきゃいけないことだって、やりたいことだってたくさんあるから、それこそ寝る間を惜しんで進めないと生き残れないのかもしれないのだけれど、こんな今だからこそ、ジュコさんとの時間を大切にしたい。
母に電話する時間を持ちたい。
最近お会いできていないメンバーさんや、体験によく来てくれたあの人はどうしているか、思いを巡らせたい。

手織りという光

決断を瞬時に求められる現状で、それでもその時々のベストを見つけたいと思いながら、誰もが未経験の世の中に光を見つけたい、願わくば光になりたい、と思いながらの日々を重ねています。光になりたい、だなんて書いた自分でも大きなことを言ったものだ、と思うのですが、僕自身が手織りという光に導かれて今があると思うからこそ、その光を途絶えさせたくないし、次の世代に、社会に、世の中に、どこかでこの光を探している誰かに繋げたいと思ってしまうのです。
ものづくりは、生きていく光です。
生き物が生命をつなぐ、根元的なエネルギーのひとつだと思っています。
そのなかのひとつである手織りは、数千年も前から続く、それこそ、世界各地で交易が生まれるであろう前からそれぞれの地域で独自に今まで続く、土地と暮らしに根付いた手仕事だと思うのです。
そんな手織りを、伝統工芸とすることもなく、ある一定の興味がある人たちだけの特定の趣味とするでもなく、もっともっと、人の日常に寄り添った、身近な手仕事のひとつであることを伝えたい。そんな想いがゴーシュを始めた根底にあったのだと、あのとき、ゴーシュの物件と出会って僕は感じたのだと思います。

伝えるにあたって、僕も創り手の、織り手の、表現者の一人として、ゴーシュを運営したい、と思いました。ものづくりの最前線に向かうものとして、趣味の世界のその先にはこんな世界がありますよ、と僭越ながらもひとつの指針になるような、そんな役割を担えたら、という気持ちがありました。もちろん、いまでもあります。いろんな形で、それぞれの目指す形で、それぞれの心地いい形で手織りと関わっていける。そんな環境を創りたい、と思っています。
手織りをしたい。
手織りをしてみたい。
そんな方の受け皿でいたい。
ほんとのほんとうに、ゼロからイチの入り口になりたい。
そして、現代社会で手織りを続けられる環境と仕組みを形作りたい。

現代社会の根幹が揺らぐ今であっても、この想いは変わりません。
改めて、自分の根っこと向き合っています。

頭の中

全国に緊急事態宣言、拡大しましたね。
つくばのお店でも宣言解除まで完全予約制の形にしたり、休業にすることころがで始めました。
いろいろな形で感染拡大を防止すべく、それぞれの場所で、ひとりひとりが知識や心を振り絞って判断されていることと思います。
三密を避ける、人と合わない、都市部からきた人とは最低2週間合わない、ソーシャルディスタンス、自粛、自粛、自粛、、、、、。
できないことばかりが増えていって、どうしても辛い気持ちになりがちです。

「この一ヶ月で日本の未来が決まる。」

本当にそうなのだろうな、という肌感覚があります。
だから、仲間たちとのご飯会も企画しないし、大好きなゆりの郷もがまんしてます。(銭湯、すごい好きなんです。年明けてからはサウナにどハマりしていたのです。)
今は、不要不急の外出は避ける必要があると、もちろん僕も思います。
そこで、不急とはなんだろうと考えました。
急ぐ必要のないもの、でしょうか。
では、不要は。
必要のないもの、ですよね。
急ぐ必要がないものはあったとしても、必要のないものってあるのかな。
たぶん、きっと必要のないものなんて無い気がしています。
この世に存在するもの、ことはやっぱり存在するに足る理由がどこかにあるばずだと思うのです。理解できるかどうかは立場で変わるから別として、やっぱり、存在するからには、絶対そこに理由や意味があるはずだと思ってしまう。
たくさんの仕事や文化、交流が止まらざるを得無い状況になって、改めて、ゴーシュの存在意義を考えています。
始めた時の気持ちを忘れずに、3年目を走る今だから見据えられる未来。
変化を恐れず、ゴーシュと関わってくれる仲間たちと一緒に、豊かな未来を形作っていきたい。