COVID-19対応

街に行けばマスクは商品棚から消えているし、ならば自作だ!と思ったら今度ははゴム紐が無くなるし、果てにはトイレットペーパーやティッシュ、お米なんかも買い占めが発生しているとか。
こんな時は色んな所から情報がなだれ込んでくるから、何が本当か見えなくなってきます。
でも、そんなたくさんの情報を伝えるそれぞれの側の根底にも「思いやり」や「人を、社会を助けたい」という気持ちがあると信じたい。
肯定的な気持ちで、冷静に状況を見つめたい。
ということで、厚生労働省のコロナウイルスに関するQ&Aを見ています。

ゴーシュのような小さなアトリエには不特定多数の方がいらっしゃる場には当てはまらないと考えていますが、人同士の濃厚接触という場には当てはまりそうです。(上記サイト問14参照)
「一定時間以上の接触」の一定時間がどれくらいをさすのかは明記がありませんが、新型コロナウイルス自体が解明されていないので、こういった表現になるのだと理解しています。
これまでの感染状況を鑑みて、空気感染は起こらないものと考えて良さそうですし、マスクの有用性も見直した方がいいのかな、と感じています。
(予防用にマスクをすることは個人的に必要だと思うのですが、「感染症拡大の効果的な予防には、風邪や感染症の疑いがある人たちに使ってもらうことが何より重要」と全国マスク工業会、厚生労働省、経済産業省、消費者庁が言っています。)
時が経つにつれて状況も解明されてきて、正しい対応が確率されてくると思います。
「ゴーシュにいらっしゃる方々の安全・安心」を最優先の判断基準とし、この局面を乗り越えてまいります。


庭仕事

冬仕事と言えば、干し柿、柿酢、切り干し大根、味噌仕込み、キムチ作り、漬物色々、、、と食べ物のことが多いのですが、庭木の剪定もこの時期です。
植物たちが寒さで落ち着いている時に、枝葉を整えさせてもらって、春の芽吹きの一助になるといいな、と手を動かします。
ゴーシュが始まって1年目はどうしていいか分からず、ひとまず伸びた枝を切り取るばかりの剪定でした。調子に乗って切り過ぎてしまって、禿山みたいなスカスカの木になってしまったもしたのですが、それでも、春には新葉がむくむくと開いてきますし、プラムやゆずの実りが良かったり、ならなかった枇杷が実ったりするので、少しずつやり方も調べつつ、毎年順番に剪定をするようになっています。ゴーシュのお庭で一番高い木は、クスノキでしょうか。
4~5mくらいあるのですが、上まで登ってチョキンチョキンと切っていきます。
時々離れて全体を見ながらバランス考えて、、、、。
そうするといつしか、大きな造形物を創っているような気持ちになってきます。
プラムもどんどん上に伸びるし小枝も茂ってくるから、細かく刈りそろえて横に広げたほうが収穫がしやすいぞっ!と、思い切って太い枝を落としてみたり、、、。
庭師さんや園芸家さんとか、「木」というものと関わるお仕事の方の凄さというか、バランス感覚の難しさというか、本当に感じ入ることが多い庭仕事です。
ゴーシュにいらした時は、ぜひお庭にも出てみてくださいね。

お漬物

昨年の目標は「発酵」ということで、柿酢や甘酒、塩麹、ザワークラウト、麹の培養などなど思いつくままにやってみたのですが、先日白菜の漬物をしました。
大きな樽に1/4に割った白菜詰めて塩振って、鷹の爪や昆布なんかも入れてみて。小さい頃は全く興味のなかったお漬物ですが、今では作り方、実際に作ること、そして食べること、じかんが経つにつれて酸味が増して味が変わっていくこと、、、いろーんなことが楽しくってしょうがありません。
白菜詰めながら、「そういえばじいちゃんとばあちゃんが毎年冬になるとこんなことしてたなー」なんて思い出しました。
煮物を作るのに里芋の皮をいていると「そういえばとーちゃんが好きでよく自分でこうして皮むいてたな」と亡き父を思い出します。
暮らしの仕事に興味を持つようになったのは手織りを始めてから。
お洋服の見方が変わって、いつの間にか、気持ちいい暮らしの見え方も変わっていきました。
そうしたら、じいちゃんばあちゃん、とうちゃんを思い出しながら白菜を漬けるようになるなんて。
手織りを続けててよかった。
続けさせてくれた世の中とみなさんに改めて感謝!
今日も白菜がポリポリシャキシャキ、おいしいなぁ。

あけましておめでとうございます

久しぶりにのんびりしたー!という感覚のお正月も師走かのように、あっという間に終わりまして、今年もatelierゴーシュオープンしました。
昨年は9月からゴーシュのメルマガなんてものを始めてみたり、今年は早速ゴーシュ基金なんて作ってみたり。。。
導かれるように始めたゴーシュですが、アトリエで、イベントで、展示会場で、たくさんの出会いを重ねるほどに色々な思いが浮かんできます。
そうして、やりたいことと、今できることと、積み重ねていくべきことと、気持ちのいい順番を探しながら始まったのがメルマガであり、その中で思い浮かんだことがゴーシュ基金だったりします。
(メルマガ読んでみたーい!という方は画面右側、お問い合わせ・ご予約からメッセージくださいませ。とても嬉しいです。)
自分の頭の中を整理するためにもこうして人の目につく場所で文字化するというのは、けっこう僕にとって心地いい作業だったりするのですが、ブログとインスタと両方読んでいて面白みのあるものにしたいな〜なんて欲もあったり時になかったりするので、なかなかブログは筆が重かったりしちゃいます。
インスタは3年目ともなり、オープン日の始めと終わりに投稿するという流れが身体に馴染んできました。
あとはこのブログですねー。机に向かって、キーボードを触るという時間をちゃんと作りたい。
事務仕事はとっても苦手なのに(5分で眠くなる)、ブログはどうにか書きたいと思ってしまう。
なんでだろう。不思議なものです。

取り急ぎ、年賀状が無くなったので、お返事はゴーシュの寒中見舞いで書きたいと思っています。
自分から出したものと、いただいたものに書くお返事と、なんだか普段のお手紙とは違うやりとりが見えてきて面白い。
色々なことがメールで済ませられることも多くなってきましたが、年賀状の風習?は続けていきたいものです。
だって、なかなか会えない人にお手紙出せる格好の理由なんですもの!

応急救護の講習会に参加しました。

東京展、大阪展と無事終わってただいまつくばでの夫婦展真っ最中。
これまでと違うのは、お店さん企画の展示会ですので、終日在廊の必要がなく、製作やその他の活動のために動く時間をもてることです。(週末は在廊します)
そこで先週末、町内会で行われた「応急救護講習会」に参加してきました。
人が呼吸停止の状態に陥った際に、そういう対処をしたらよいかを学んできたのですが、自動車免許取得以来の講習です。
おぼろげな記憶と比べても、色々知らなかった!知っていてよかった!と思うことばかりでした。


・吐瀉物があったり、血液があったりで人工呼吸ができなくっても、胸部圧迫(心臓マッサージ)ができれば、それで身体に酸素を送ることができる。
・直接の人工呼吸だと、感染症が移る恐れもある。無理してすることない。
・呼吸停止にはひとまず胸部圧迫。
・胸部圧迫は「強く・早く・絶え間なく!」が重要。
・胸部圧迫はみぞおちの上あたりを、5cmへこむくらいしっかり押す。
・それこそ、骨折れちゃうんじゃないの?!ってくらいだけれど、それでもしっかり押す。(自転車空気入れのイメージ、ストロークをしっかり!)
・骨が折れたとしても、呼吸が戻らなかったら圧迫は続ける。
(これにはびっくりしました。骨が折れても後で治る。呼吸が戻らなかったらその場で死んでしまう。なるほど。)
・実際の人相手には、びっくりしちゃってしっかり押せないもの。だからこそ、「強く・早く・絶え間なく!」の意識でしっかり胸部圧迫を!
・1年間で6万人が急性の呼吸停止で亡くなっている。
・救急車が到着するまでの約9分だったかな?の初期処置で、生存可能性が倍くらい違う。
・周りの人に助けを求める時は「誰か!」とは言わずに「そこのあなた、救急車を呼んでください!」と目を見て指名する。

ひとまずこんなところでしょうか。
より正確な数値が気になる方は消防庁HPなどで調べていただくとして、上記を知っているだけでも、もしも自分の目の前の人が倒れた時、呼吸停止に陥った時に慌てないで済むような気がしました。

他にも災害対策のこととか、これは有益と思えるものはメモも兼ねて、ブログに書いていきたいと思いまっす!

稲刈り

tsutaeの展示会直前だってのに、稲刈りに行ってきました。
「時間がない」とは思わないのですが、みんな平等に与えられた時間の中で、どう動くか、どんなことを考えているかで、日々の密度が違ってくるんだな、という実感のもと、今年はやはりここは外せない気がしまして。。。
(ちなみに昨年は行きたいと思いつつ行けずじまい)

いつもお野菜を頂いている、どまんなか野菜のモッチーさんの田んぼへお邪魔してきました。
まず、目に付いたのは小田がけされた稲穂。
八郷の山々に囲まれた中に浮かぶその光景は、それはそれは美しかったです。
そして、手で稲穂を握り、刈り取り、昨年の稲からできた藁で束ね合わせ、天日に干す。
モッチーさんが日々の畑仕事の中で感じることや、気持ちのまんなかにあること、いろいろなことを聞かせてくれながら、進む手仕事。
そして時には、稲刈りよりもカマキリやイナゴ、カエルにばかり興味を示す友人の息子と田んぼを走り回ったり、モッチーさんは本当に穏やかに朗らかにわはは、なははと笑う気持ちのいい兄さん。
穏やかな口調で伝わるその言葉たちの中には、自分の価値観を持って生きて行くことの安心がたっぷり含まれていました。

機械でやればあっという間に終わる作業。
でも、こうして手を動かしながら、話しながら仕事をする時間は無くなっていく。効率が良くなって、でも、楽しい時間がなくなって。
どちらがいいかは人それぞれだけれど、僕も、この時間が好きだし、大切だって思うし、感じられてよかったなって思う。
そうして、自分のことで言えば、どうしたって時間がかかる手織りだけれど、その工程の中にある楽しさや奥深さや、時間がかかるからこそ見つかる喜びや、それこそ、機械には生み出せない布があるってことを再確認しました。
織りをしたい人が集ってくれるアトリエでの時間が、より一層大切に思えました。

来週から始まるtsutaeの展示会。
ゴーシュはその間、臨時でお休みをいただきますが、その分たくさんの楽しいことを持ち帰って、みなさんにお話したいと思っています。

記念日

コート・ドールというフレンチのレストランへ行ってきました。
オーナーシェフである斉須政雄さんの著書「調理場という戦場」(幻冬舎)を読んで以来、一度は行ってみたい場所のひとつとなっていました。
初めて伺ったのは3年前、ジュコさんと入籍届けを出しに行く前に「大切な記念日だから」と念願叶えるために行きました。
そうしてお料理の美味しさ、接客の気持ち良さ、そして斉須さんのお人柄に感動し、一年に一度はこんなお店に行けるよう仕事がんばろうね!と背筋を伸ばして帰路につきました。

3年後の今回は、JUCO.のブランド13周年のお祝いに。
そうなのです。記念日といっても、今回はブランドの記念日。
二人とも「調理場という戦場」という本から学んだことも多く、また斉須さんにもお会いしたいね、なんて気持ちもあってのことでした。
お料理はもちろん初めていただいた時の美味しさそのままに、不慣れなレストランという空間にも関わらず、まったく緊張することのない温かみのある接客が心地よく、斉須さんにもお会いすることができました。

「僕がフランスに渡った日も9月2日でしたよ。」
「飛行機は12:50、何もわからないまま、でも、無我夢中でやってきました。」
「たくさんの人たちが並走してくれて、今があります。」
「今でも、何も持たず、ただ立っているだけのあの頃の自分を覚えています。」
「お店をこうして持っているけれど、夢の中にいるような気持ちになることがある。」
「フランスに行った23歳から今まで、あっという間です。」
「規則正しい日々の繰り返しが、仕事になっています。」
「どんなにできるようになっても、人を動かすだけにはなりたくない。」
「若い人たちと働いていると、今でもこの人たちの役に立てる自分がいるんだ、と嬉しくなります。」
「技術のことは僕より彼らの方がたくさん知っている。それ以外のことをいつも話しています。」

御年70歳。現役料理人の斉須さんは、少年のような、朴訥な表情で、こんなようなことを話してくださいました。
ひとつも聞き逃したくない、ずっと覚えていたい、大切な、大切な言葉たちでした。
ゴーシュは始まって3年目、作家活動は9年目、tsutaeは6年目。
まだまだまだまだ、やりたいことはたくさんあります。
やらなくっちゃいけないこともたくさんあります。
ずっとずっと、身体が動く限り、続けていきたい。
来月からは展示会が始まります。
ゴーシュでも、楽しいことしたいですね。
今年の秋も、素晴らしい日々になりそうです。



自分なりを重ね合う

ゴーシュにいらっしゃるとみなさん、建物やお庭をとても誉めてくれます。
そして、お掃除、お手入れが大変でしょう、と心をくださいてくださる方もいらっしゃいます。
基本的には自分で選んでこの場所、この状況を作り出しているので大変だと感じることは無いのですが、言われてみると大変と感じる気持ちももちろんわかります。楽な作業かといえば、決して楽ではないですしね。
でも、お庭の草刈りをしていると、身体的な大変さより、そこから得られる達成感だったり、小さな小さな気づきのようなものがあったりするので、やっぱり自分でやり続けたいと思っています。
1回で全部やろうとするととても大変ですし、とても手が回らない。
ゴーシュのお庭はそれなりに広さもあるので、ひとりだと丸1日仕事になってしまいます。
日々の作品制作もしたいですし、他にもあれこれ日常の仕事だってあります。
大概は時間を決めて草刈りするのですが、決めた時間にキリがよく終わらないことだってままありますし。
そして、お庭に生える草ぜーんぶを刈り取るわけでもありません。
そうしてですね、僕はこの草は刈るけどこれは残す、とかあれこれ考えながらしているわけですが、それはどれくらい見ている方に伝わるんだろうな、なんてふと思ったわけです。
人によっては全部さっぱり刈り取ったほうが綺麗と感じるでしょうし、色んな草がたくさん生えている方が、ありのままの自然を感じて綺麗と感じる人もいるでしょう。
僕は気になるからこの草は刈るけど、そうじゃ無い人もいるんだろうなーなんて思うのです。
これを例えば街中で考えてみると、ゴミを拾う人もいれば拾わない人もいますし、そもそもゴミが落ちていることに気がつかない(気がつけない)人だっているわけです。人それぞれ色んな状況がありますものね。
だから、みんなでゴミを拾いましょう!と言うよりも、みんなで綺麗な街を作ろうぜ!ってな気持ちで、みんなそれぞれ自分の気持ちが綺麗だなって思う環境を自分で作ろうとしていけば、みんなそれぞれのゴミを拾うようになるでしょうし、拾わないように見える人も、きっと違うところで何かを綺麗にしていたりして、結果そこに暮らすみんなが気持ちいい街ができたりするのかなー。
つまりは、少しでも重なる部分を見つけられたら、違う考え方や価値観も気持ちよく共存できるんじゃなかろうか。
なんてことを草刈りしながら思ったりしましたよ。
土が近くにある暮らしは、色んなことを感じさせてくれてとても楽しい。

穏やかなおにぎり

最近オープンしたばかりという、朝ごはん屋さんに行ってきました。
メニューは一汁一菜とおにぎり。
潔くて気持ちいい。
伺ったのはオープン間も無くの朝7:15ころでしょうか。
端正で穏やかな顔立ちの青年が迎えてくれました。
 「朝早くにすみません。ありがとうございます。お店開けておいてなんなんですけど。」
ぶっきらぼうでもなく、無理に話をしようとするでもなく、とつとつと静かに始まった会話からは、彼の自然体の姿勢が滲み出てきて、かっこつけていないのにかっこいいとはこういう感じなんだろうなーと思いました。
自分の信じるやりたいことや気持ちいいと思うこと、美味しいと思うもの、ひとつひとつ形にしながら、そこに向かって行っている最中なんだろうなーとか勝手に思っちゃって、きっと20代中頃であろう彼が、こうして自分でお店を始めて、しかもその主体がちゃんと「自分のやりたいこと」が中心にある感じがして、とっても気持ちがいいなーなんて何目線か分からないけどなんだか感慨深くなったりしちゃって、誰かの価値観じゃなく、自分の価値観で世の中と繋がって行ける、行こうとしている人がいるなんて、本当にとてもうれしいなーなんてしみじみしてしまいました。
インスタグラムからも、彼の人柄が滲み出ていてとても気持ちがいいのです。
https://www.instagram.com/agdc_tsukuba/
なんででしょうね。なんだかとてもうれしい。
彼の背景なんて、何にも知らないのに。
今思うと、とても不思議な感覚です。

染めをしてみました。

メンバーさんが藍の生葉をおすそ分けくださったので、糸染めをしてみました。
これまでも、ワークショップに参加したり、自分でもパンツを染め直したりしていたのですが、最近は染めからずいぶん遠さかっていました。
というのも、染料を買ってきて、お湯を沸かして染料を溶かして、大きなバケツで色を染み込ませて、洗って干してを繰り返して、、、。
染めってある程度手間がかかるという認識でいました。
だからこその面白さがあるのですが、どうにも「よし!やるぞ!」な気合を入れて行っていました。
ですが、今回生葉染めの手順を聞くと、なんとも手軽にできそうなところでして。
せっかくの機会ですし、生葉をくださったメンバーさんもおりますので、これはやってみよう!と久しぶりにチャレンジしました。
試しに染めてみる、といったところなので、少量の糸での作業だったのですが、本当に簡単に染めることができました。

生葉の重さを計る→染めたいものの重さを計る→1対1になるように重さを調節する→生葉をミキサーでつぶして染料を作る→事前に水に浸した染めるものを、染料に浸す→染料が行きわたるように揉む→全体が馴染んだら水洗いする→干す→完成

どうでしょう。簡単そうではないですか?作業時間としては20分もかかっていないように感じました。
生の葉から出る液に糸を浸けたら、緑だと思っていた色がどんどん青くなっていって、洗うほどにその青が鮮明になっていくのです。
まるで手品を見ているようでした。
とーっても面白かったです。
子供達と一緒に染め体験なんてしたら、どうだろうか。
ゴーシュのお庭で藍の葉を育てて、体験の日にはその収穫からしてもらって、自分たちで糸を染めて、その糸で手織体験をしてみる。
自然から色をいただく過程を体感すること、自分で材料を作るということを体験した子供達は、きっと身の回りにある植物も染めの材料に感じるようになったりしないだろうか。
物事を見る目が、価値観の幅がグッと広がるのではないだろうか。

来年は、ゴーシュのお庭に藍の種をたくさん蒔くことに決めました。