選挙ボランティア

選挙ボランティア、行ってきました!
いやー、ドキドキしました!行くまでは。
ボランティアはですね、しない理由は数あれど、する理由なんて少ないわけで、都内へ行く用事に合わせて時間を作ってドッキドキしながら行ってきました。
しかしながら、結果としてはやっぱり行ってよかったー!してよかったー!また時間作って行こう!と思える経験となりました。
僕がしたのは、選挙はがきを封筒に入れていく作業だったのですが、教えてくれた方が学生ボランティアのベテランさんで、聞くと講義のない時はほとんどボランティアにいらしていると。
前回の参院選の時の話とか、政治に興味を持ったきっかけの話とか、色々と聞かせてくれました。
また、興味深かったのは、本当にいろんな方々が会場にいらしていたこと。
学生さん、主婦の方、会社員の方、シニアの方、ピッピー風の方、美容師風の方、、、本当に様々で、僕の目からそのように見えるだけということも大いにあると思うのですが、本当に多様な方がいらしていました。
僕が作業できたのは1時間くらいの短い時間だったのですが、帰り際に、周りで作業中のみなさんも「お疲れさまでした〜!」と声をかけてくださったり、とても気持ちの良い時間をいただいてしまいました。

人それぞれに得意不得意があることを大切にしているからか、ボランティア業務を無理に割り振られることもなく、時間と気持ちに無理のない範囲で作業を与えてくださいまして、行く前のドッキドキはいつの間にかどこかへ行ってまってていました。人手が足りない作業があっても、声かけはするけど、それ以上の引き手はありませんし、作業スピードを求められることもありません。
個々人の気持ちのペースで関わらせていただける、優しさ溢れる時間でした。

いろんな想いや立場がある中で、一人ひとりが集まって、自分にできることを自分の気持ちでする。人の気持ちを想像しながら作業する。
ボランティアは、自分自身が人に対しての優しさを再認識する時間だったのかもしれません。

動画編集

メンバーさん向けに配信を始めた動画も2ヶ月目に入り、そろそろより見やすく編集もしたいな、、、なんて欲が出始めていろいろと調べています。
俯瞰で撮りたいし、字幕も入れられたらいいな、三脚はどれがいいんだろう、編集アプリは?Youtuberさんはどんな編集してるんだろう?改めて視点を変えながら見てみたりしています。

いやー、織ってる時間なくなりますね!これ!

餅は餅屋?!
しかしながら動画配信している方々も個人の方ばかりですし、みなさんやっぱり自分で試行錯誤して覚えて来られたのだと思いますし、、、。
しかしながらすごい!見ていて楽しい、飽きない動画ってすごい。。。
僕の場合、youtuber目指すわけではなく、ゴーシュにいらっしゃるメンバーさんのタテ糸作りや織りの復習動画になることを目指して始めたものなので、そもそも行き先が違うってこともありますが、やってみるともっとより良く!なんて思ってしまうのが作り手ってものです。

ひとまず編集アプリをダウンロードして、やりながら覚える、慣れる方式を始めました。
みなさんにお見せできるものになるのはいつの日やら、、、、。

都知事選挙

目が離せません。都知事選。
4年前はちょうど僕が東京からつくばに戻ってきたタイミング。
そして今はつくば市並木にてゴーシュを開いて、手織りと共に暮らしを重ねています。
僕自身の状況も、世の中のことも、まったく想像していなかった未来に立っている今なんだ、と思うと、この今こそが未来なんだと思わずにはいられません。
都内で働いていた頃は、選挙の度に行ける時は気になる候補者のお話を聞きにまわっていました。自転車だったり、電車だったり、休みの日は都内をぐるぐる動いていました。
今思えば、お仕事を安定した環境でさせてもらっていたからなんだな、としみじみ思います。
僕が政治に興味を持ったのは、東日本大震災がきっかけ。
暮らしの足元が大きく揺らいだ感覚がありました。
そうして、会社員を続けながら自分なりの社会参加を考えた結果、独立してつくばに戻る道を選びました。
それにしても都知事選。
日本の人口約1割が集まる東京。
僕の青春が詰まった東京。
つくばに戻ったからって、遠くの話にはなりっこありません。
仲間たちがたくさん住んでるし、未来の仲間だってたくさんいる。
みんなと話をしながら、しっかり見届けたい

ゴーシュインスタで以前はちょくちょくアップしていた、ゴーシュの本棚シリーズ。先日の読書記事を書いてから、改めて本っていいなぁ、と。
そこでまた本棚シリーズを今日から再開してみましたよ。(内容はゴーシュインスタをチェックしてくださ〜い!)
だからかたまたまか、今日いらしたメンバーさんが本を1冊、ゴーシュに寄贈してくださいました。草木染めの本なのですが、友人から譲り受けたものがたまたま自分の本棚にもあったとかで、巡り巡ってゴーシュの元へ。
しかし、昨今は知りたいことがあったらすぐにグーグル先生が答えてくれます。
YouTubeで世界のみなさんが動画で教えてくれます。
本の出番は何処へ?!
いやいや、ニッチな世界はまだまだありまして、本でなければ知りえなかった、出会えなかったであろう情報が、体験があるのです。(あると思う)
最近染め糸を触っているのですが、そのより良い扱い方なんてネットではなかなか見つからなかったりします。あったとしても、うーん、、、、となってしまったり。僕のリサーチ能力が低い、ということも大いにありそうですが、やっぱり本の存在って大きいと感じてしまいます。
知識としての情報はもちろんですが、装丁や紙の質感、ページをめくる動作、厚み、背表紙、全体のサイズ感、色んな知覚情報があります。
最近では読み物ではなく、見るものとしての本にも接するようになりました。
本を購入する理由は増える一方。
物はそんなに増やしたくないと思っているはずなのに、面白いものです。
本棚はその人の頭の中、と言いますし、みなさんとコミュニケーションを取る意味でも、ゴーシュの本棚シリーズ、続けていこうと思います。

糸をコーン巻きする

今日は染めた綛糸(かせいと)をコーンに巻き直す作業(以下コーンアップ)をしました。
糸を染めるためにはまず糸を綛(かせ)という状態にした方が染めやすく、その綛で染めた糸をゴーシュにあるようなコーン巻きの状態にしてから織る、ということが一般的な糸染めの流れ(のはず)です。
のはず、というのも、染めに対して師というものがおりませんで、本を読んだり見聞きした情報をもとに「やってみている」ので、「これでいいはず」という作業進行だったりします。
だからか、ただただ僕が慣れていないからか、すんごく時間がかかってしまいまして、これはちょっと先が長いぞ、、、という状況が見えました。
すごい前進!
というのも、手織りをしていると、「染めはしてるんですか?」「紡いでいるんですか?」とひんぱんにご質問いただきます。
している、と言えるほどの経験はないのですが、したことがある、くらいなのでそのままお伝えしているのですが、今年は染めもしたい(久しぶりに)!、ということで、今日はそのコーンアップ作業だったのです。
しかしながら、みなさんにお伝えする前に僕自身がある程度慣れておかねばならぬ現状がすっごく浮き彫りになりまして、どんな方法がいいのか、簡単に楽しくできるのか、ちょっとムフフと考えております。うん。簡単に楽しく、がいいですよね。はじめの一歩はどんな形がいいか。お庭の藍が育つ前に決めなくっちゃ!

読書

写真家 幡野広志さんの本を読んでいます。
35歳で治らないがんになり、余命3年の宣告を受けておられる方です。
1冊目「ぼくが子どものころ、欲しかった親になる。」は母から勧められて、2冊目は、ゴーシュの本棚にあった前述の本を見て、こちらもぜひ、と貸してくださったメンバーさんから。
読みたいと思って手に取った本が溜まりに溜まってなかなか減らず、読みたい本ばかりが増えて、読んだ本が増えない僕ですが、幡野さんの本は読み続けずにはいられませんでした。もちろん面識なんてありませんし、メディアで拝見したこともありません。ブログやSNSすら見ていません。でも、読まずにはいられませんでした。感情が、記憶が途切れる前に1冊を通してしっかりと読みたかった。
不思議な感覚でした。
先日ネットで見かけて強く興味を持った方の書籍を、すぐさまamazonで購入しました。これは読みたい、これからの自分に必要な気がする!と読み始めたのですが、どうにもページが進みません。いつも見える場所に置いて、毎日触れるのですが、なかなか速度はあがりません。
どちらの本も、著者ご本人の経験、知識、感情、想い、意志がこもった人間味のある内容であるはずなのに。
つよいことば、やさしいことば。
いきていることば。
にんげんのことば。
本は、今も変わらず僕に僕を教えてくれる存在です。

手織りの自由さ

最近、改めて手織りの表現技法としての自由さ、寛容さを感じています。
商業的な手織りでなく、個人の楽しみとしての手織りは自由表現にとって最たるものですし、商業的な手織りですらこれからはそれが当てはまるのかも?と思っています。むしろ、明確な表現や、個人的な想いが伴わないと手織りという形式で商業的に成り立たせることは不可能かもしれない、と思ったりもしています。
手織りでご飯を食べたいと思っているなら、それこそ個人(自分)の想いを見つめて見つめて、それを表現していくしか道はないのかもしれません。
ご飯を食べるかどうかはさて置き(書きたいことが脱線するところでした)、手織りは本当に自由だな、と。
絵を描くことほどに自由かもしれませんよ。
だって、分業制で(産業として)続いてきた手織りにあって、それを個人の楽しみとしてやろうということで、タテ糸作りから織り上げまで自分でするって、すんごい自由度高いことだと思うのです。
手織りでよく言われるのが、タテ糸作り8割、織り2割みたいなことなんですけれど、そもそも自分が織りたくて織るのだから、その8割の中でも2割の中でも、自分の気持ちのままに変化ができるってことなんです。
分業制だと、まずはじめに織りの設計が必要ですし、その設計に沿って各ポジションの人がそれぞれのプロフェッショナルの仕事をしていきます。
だから、設計から逸れたらそれぞれのプロの能力が発揮できなくなるので、やっぱり設計って必要なのです。分業では。
でも、個人の、自分が楽しむ織りであれば、全部自分でする前提なので、設計が必要ないのですね。織りを行う上で工程に対する知識はある程度必要ですし、あったほうがより良いとも思いますが、設計まではしなくても、楽しく、心地よく織ることってできるんです。
もちろん、設計してから織るとしても、自分で全部したくてすると思えば、それもまた喜びと楽しみの一部になってくれます。
「手織り」と聞くと、時間がかかる、手間がかかる、と思われる方も多いと思います。それも一部本当です。
でも、織りとの向き合い方次第で、まったく違う世界が広がっていきます。
手間がかかるからこその楽しみがあり、豊かさや特別な時間を感じることができたりします。
僕自身、昨年までと少し違う工程、考え方で織りと向き合い始めました。
そうして冒頭の感覚がぐわわ〜っと湧いてきたのです。
「いやー、手織りってほんと自由ですね。」
って、内心ワクワクしています。
それは、メンバーさんの作品を見ていても感じることだったりして。
世にあるたくさんのものづくりの、手仕事のひとつとして、これからの世にもやぱり手織りはあったほうが楽しい世界になるよな〜、なんて思った1日でしたとさ。

早起き

朝はだいたい7時前後に起きることが多いのですが、欲を言えば6時か、もっと言えば5時頃に起きたいという気持ちでいます。
今日は5時頃に目が覚めて、うつろうつろしながらも起きだしてリビングでストレッチ。。。。していたらいつの間にか2度寝して6時半。それでもいつもよりは早い始動だったので、ゆとりある穏やかな朝になりました。
寝ないと思考が鈍りますし、寝すぎると体の節々が痛くなるし、自分の身体にとって「丁度いい」時間を知ることが大切だと身をもって感じる日々です。
そもそも寝つきはびっくりするほど良いので、夜も24時近くなると「どこでも眠くなる」という特技があったりします。身体の声に耳を澄ませて、自分のペースで日々を重ねることができたら、どんなに毎日が鮮やかになることでしょう。
新聞、ニュース、ネット、いろんな所から世の中のことが流れ込んできて、ため息が出てしまうようなことがいっぱいあったりします。(よね?)
そんな情報に触れる度、少しずつ、「心が疲れることからは目を背けてもいい」かもしれないな、なんて思います。現実から逃げる、とかそういうことではなくって、生き物が生きていくための手段のひとつとして、「嫌だと感じるものは避ける」という自然の行動のひとつとして。
そうして、目を背けてみて、少し気持ちを楽にすることができたら、目を背けたままでもいいから、耳を澄ませてみる。どんな音や声が世界にあるのか、耳を澄ませてみる。そうすると、目を背けたくなる情報の違った面が聞こえてきたりします。世界が変わりだしたりします。
大切なことは、決めつけないこと、考え続けること。変わり続けること。
変わっていいんだと、想えること。
明日も早起きできそうです。

自作の什器

週末はお客様用の荷物入れ兼、棚受けの箱を作りました。
古道具で見つけた餅箱の作りがとても美しくて、こんなデザインでもっと大きいものが作れまいか、、、、と思いたってのDIM(Do it myself)!
完全に文系脳の僕は、設計図を書くなんてしたこともしようとしたこともないのですが、作りたいものができてしまったからにはやるしかありません。
棚板と荷物箱のサイズを測り、それらに合うように仕組みを考え、ホームセンターの板だとどれがいいか、その板は何枚必要か、、、。考え出すと、もっとこうしたら?こうしてみたい!あれこれやりたいことが膨らんで、設計図書き直し書き直し、ならば設計図も実寸通りに縮尺変えて書きたいぞ、なんて思いついたりで、スタートまでにすっごく時間を使ってしまいました。
そうして買い出しに行って、作り始めたら、あれが足りなくなった、これも足りない?!なんてホームセンターを何回か往復して、、、2日間かけて完成しました!
手間がかかった子ほどかわいいもので、しかも、ぴったり寸法のものなんて世には売っていないわけで、、、本当にお気に入りの什器となってくれています。

色んなものがすぐに手に入り、しかもそれなりに使い勝手が良くて、買いやすい値段のものがたくさんある世になりました。僕が子供の頃と比べても、まったく違う世界のようです。でも、ものを作る人の営みは変わらず続いていて、僕たちみたいに、手織りをしたい、やってみたい、という人たちだってたくさんいます。必要なものを自分で作ることが当たり前にできたら、どんなにカッコ良くって豊かで、安心できることでしょう。ゴーシュにまたひとつ、自作の什器ができたことで、ゴーシュという空間により一層愛着が湧きました。織物以外にも、ちらほら自作のものがゴーシュにはありますので、「あれ?これは?」時になるものがあったらぜひ、お声がけくださいね。しっぽ振って喜びながらお話させていただきます。

母が甘えてくれるようになりました。
もともと虚勢を張るような人ではありませんでしたが、僕たち子供には心配をかけまいと、それが当たり前のことと頑張るような、そんな母でした。
昨日の朝、急に母から家族のグループLINEに連絡が入りました。

「脈がいつもより早くて、気持ちが悪い。」
「昨日の夜からで、朝起きても治らない。」
「運転したくない。医者に連れて行ってくれないか。」

先週3度目の心房細動の手術をしたばかりの母。
ドキッとしました。
一昨日は天気が良く、梅雨入り前に整えたい、と畑仕事を頑張ったそうです。
いつもなら、ちょっとしたことではこんな連絡はしない母です。
ふた事返事で、実家へ向かいました。

結果大事には至らず、”陽の下で畑を頑張りすぎたのだろう””熱中症になりかけて、心臓が驚いたのだろう”というような事でした。
「頑張りたい、頑張れる」という気持ちに反して、ブレーキをかける身体。
しんどかっただろうなぁ。

人一倍健康には気をつけている母。
無意識にでも頑張ってしまう母。
仕事の日に急に悪かったなぁ、と謝る母。
助かったよ、ありがとうございます、と丁寧な母。

連絡ありがとうね、いつでも電話してきてね、大丈夫。
これからは、僕らが甘えてもらう番です。
たくさん、寄りかかってくださいね。

そうそう、手術室へ向かう車椅子へ乗る前、母は僕に向かってニコニコ笑いながら、両手を大きく広げました。それもYの字くらい大きく。
僕は母をハグし、背中を軽くポンポンとしました。
テレビで抱きしめ合うことは健康にいいと言ってた!と、先月くらいから会う度ハグをせがみます。
僕らの母、みさおちゃんはとってもかわいい。
チャーミングだ。
ちなみに、ジュコさんもみさおちゃんと会う度一緒になってハグしてくれる。
酒寄家の女性たちは、みんなかわいい。