想い通りに織る

今日は秋の展示会に向けてストールを織り始めました。
シンプルでプレーンな印象のストール。
そして、織りながらふと思いました。
織りを始めた頃は、こんなシンプルなものは織れなかったなって。
織りたいものを織ることは変わらないのですが、あの頃は、織りながら完成したデザインが浮かび始めたらあえてそこから離れるように織っていました。
見えないところへ、もっともっと知らない世界を見てみたい。
そんな気持ちで無我夢中で織っていました。

でも、今はけっこう変わって来ています。
デザインが浮かんだら、素直にそのまま織り上げるようになりました。
思い描いた色、サイズ、巻いた時の感じがどれだけ実際と同じなのか。
イメージを形にできているのか。そこに自然と向かうようになりました。
そう織ることが、心地よくなりました。

そうして、またふと思いました。

まったく先の見えない世の中で、誰もが不安と共に生きるようになっているのだから、せめて自分の物作りくらい、自分の思い通りにできたらいいよね、って。

「自由」という言葉で手を離すのではなくって、織りたい人にそっと寄り添い、想いや進みたい方向を汲み取りながら、その人自身の織りたいものが織れるように、手織りの優しさを感じてもらえるように、ゴーシュという場が在れたら、これほど幸いなことはないです。

織りたいもの、一緒に織れるようになりましょうね。

かたづけ

整理整頓をする癖をつけたいと思っているのですが、なかなかうまくいきません。この一ヶ月でずいぶん整えられたぞ!と思っているのですが、目隠しにしているカーテンの裏側に少しずつ物を溜め込んでしまうんですね。ちょいっと置いて後で片付けようと思ってはいるのですが、その後の時間になると違う事が目の前にやってきて、結果同じ場所に物が溜まっていくという循環?になっています。2週間前はあんなにきれいになったのに、、、!なんて、お庭の草木たちの成長っぷりと物が溜まるのと、どちらが早いかな?なんてものです。
それに比べ、テレワークでゴーシュのひと部屋がアトリエになったうちのカミさんはと言いますと。
いかに快適にいい仕事ができるかは整理整頓にかかっているのですね、と思わざるを得ない整いっぷりです。
書くとまさしくそれはそうだなぁ、ということなのですが、本当に見ていて気持ちがいいです。
僕がストックルームとは名ばかりの物置にしていたひと部屋を、この一ヶ月くらいで見事に自分のアトリエ(仕事部屋)に変身させております。
通常業務をしながら、あれやこれやと配置を変えては試しながら、自分の心地いい環境を作っていく様は、本当に唸ってしまうほどです。
それをそばで見ている僕はなるほどなるほど、やっぱりそうですよね、そういうことですよね、と背筋伸ばして、後でしようと思った片付けのひとつをし始めるのでした。

月に1着、仕立てをしたい。なんて言いながら、5月は手織りキットを作ったり動画を撮ったりしていてあっという間に過ぎていってしまいました。。。。。
織っていなかった訳ではもちろんないのですが、それも嫁ぎ先が決まっている生地のお仕事だったりしまして、自分ごとはなかなか手が進みませんでした。
そうそう、給付金申請も不備があるということで戻ってきてしまったりして、どういうこと?!と調べていたらあっという間に2~3時間は経つ訳で、、、、。
当たり前ですが、思ったようにスムーズに事が進むなんてまずありませんよね。
何かトラブルがあったら、前より状況がもっと良くなるチャンス!と思って、不向きな事でも頑張らないと楽しなりません。
頑張るぞー!とささやかにお腹の下へ力を入れて、デスクワークですくわーく。
猫背にも気をつけなくっちゃ。
世の中を見渡すと、ちょっと気持ちが苦しくなるようなニュースが増えてきましたように感じます。こんな時こそ手を動かして、頭と心を柔らかく保ちたいものです。

ミシン

ミシンを踏んでいると思い出す情景があります。

家族5人で並んで眠っていたあの頃。
不意に目を覚ました夜更けに眠気まなこでうすぼんやりと
ふすまから差し込む蛍光灯の光

ダカダカダカダカダカ、ダカダカダカダカダカ、、、、

不規則に、ゆっくり、しっかり、何かが動く機械の音
そのリズムがなんだか心地よくて
またすーっと眠りに落ちていく

穏やかで暖かい、幼少期の記憶。

母が縫ってくれていたものはなんだったかな
上履き袋かな
なんでも入る魔法の手提げかな
一人一枚と言われた雑巾だったかな

僕は最近、お仕事でミシンを踏んでいます

とは言っても、工場さんに頼むような数のある仕事ではなく
かといって専門の特別な技術が必要な縫い物でもありません

手で縫うには強度が足りず、ちょっとだけ数があるような
僕みたいな縫い物好きにはちょうどよい規模感のお仕事です

布を織ること、手織りの心地よさをお伝えしていたら
ミシンをする時間も増えました

物作りは可能性を生み出すことだと思っています

思い出の音だったミシンの音が
誰かの未来の可能性になれますように

緊急事態宣言

解除されましたね。
しかしながら、それによってゴーシュが変わることといったら実はなんにも無くってですね、これまでもこれからも、ゴーシュに行きたい、ゴーシュで織りたい、と思ってくださる方が安心して織ることのできる環境を整えていくこと。これに尽きると思っています。
ゴーシュがどんな場所で、どんな環境にあって、どんなことができて、それを伝える僕はどんな人間で、、、、ゴーシュに来る前にできる限り色々なことが「分かっている」状態を目指していきます。もちろん衛生面もしっかり整えていかないと、ですよね。こればかりは自分の感覚を疑いながら、「これで安全!」と胸を張って言えるような状態をキープしていかねばならんと思っています。
それでも、やっぱりどうしても、みんな来てくださいね!と両手広げていらっしゃいはできないと言いますか、しちゃいけないような気がしています。
来て欲しいのだけれど、来てとは言えない。
思春期の恋心みたいですが、本当にそうなのです。
なので、「ゴーシュに行きたい」と思ってくださった方が来てくれた時、「やっぱり来てよかった」と感じてもらえるような、ゴーシュをそんな場所にしていこうと思います。

持続化給付金

申請しました。
そこでいったいどれくらいの規模感なのか改めて調べて見ると、5月15日時点で90万件(NHK調べ)の受付があったそうです。
当初最大130万件の受付予定とのことですが、あっという間に到達しそうです。
給付までは約2週間、、、できることはなんでもする!と書類まとめて税務署に証明書お願いして、どうにか今日の申請だったのですが、間に合ったのでしょうか。。。

待つより進め!と手を動かしているわけですが、人の動きが制限されてこの方、ゴーシュへのご来場者もぱったり少なくなりました。
そんな時こそ環境整備!というのも限界がありますし、ここは手を動かす以上に頭を働かせねばいかんところだ!とも思いつつ。
しかしながら、世はみなさん一斉にオンラインオンライン。
ゴーシュもオンラインストアを始めましたが、そちらでしっかり頑張り始めることはどうも違うような気がしております。
ゴーシュはやっぱり手織りのアトリエであって、ゴーシュという環境と共に手織りの楽しさ、面白さ、表現度の高さ、可能性の深さ、そして何より身近さをお伝えしたいと思っています。
オンラインでもできることを進めつつ、それでも一番大切にしたいことは、ゴーシュに来たいと思ってくださる方が安心して来ることのできる空間を守ること、
ゴーシュに行きやすい空気感、環境を作っていくことだと考えています。
最近特に、織りを通して糸と触れ合っていると、自然と気持ちが落ち着いて元気になってくる感覚を覚えます。
こんな時だからこそ、これからの時代にも、手織りは必要なものだと実感します。
不急じゃないけど不要でもないよね!って思います。
織りと共に、糸と共に、手仕事と共に、これからの世を形づくっていきたい。

織ること

久しぶりに織っています。
整経して、筬通しして、綜絖通しして、巻き取りして、織り機の前に座って、織っています。
ひとつひとつの工程を自分のペースで進めていって、「この色の次はこの色い入れたい!」と閃いたら、その発想のままに色を重ねていく積み重ねがなんとも気持ちが良いいのです。
最近曇りや雨続きで、気持ちも晴れやかになりずらかったのですが、色を織り重ねる世界はなんとも鮮やかで心地よくって。
身体の細胞の隅々に血が巡っていく感覚と言うのでしょうか。
不思議なのですが、織っているとどんどん元気になっていくような気がします。
それくらい久しぶりに織ったからでしょうか。
手織りキット制作や動画撮影で織ること自体はしていたのですが、これらは明確に「伝えたい相手=みなさん」に向けての織りだったりするのですが、(もちろんその瞬間瞬間は楽しく織っていますよ)、今日の織りはなんともなしに決まりもなく、感覚的な色合わせで織っていく感じ。
それがとても心地よく気持ち良かったのです。
自由な感覚で織る。
このことを僕はいつの間にか忘れかけていたのかもしれません。
気がつけてよかった。
もっともっと自由な気持ちでものづくりができるはずだなーと思うと、それだけでまた元気が湧いてきました。

自家製納豆

奈良の作家ご夫婦がつくったよ〜!とアップしていた自家製納豆。
聞くと枇杷の葉に茹でた大豆を包んで40度キープ2日間でできるそうな。
ゴーシュのお庭には枇杷の木。
昨年収穫した大豆もあります。
これは試してみるしかありません。
せっかくだから、茹でたものと、蒸したものと2種類で実験です。
さっそく挑戦してみると、1日置いただけでもネバネバが出てきています!
すごい自然の菌のチカラ。。。。。
調べてみると納豆菌は熱に強いらしく、納豆菌以外の菌を無くするために枇杷の葉を少し茹でたんですね。
煮沸消毒みたいな感じですよね。
これ、納豆菌、ほんとにいなくならないの?
なんて思っていたのですが杞憂でした。
ちゃんとネバネバ糸ひいてます。
稲わらの方が納豆菌が多いそうですが、枇杷の葉でも十分かもしれません。
2日経ってどうなっているか、ドキドキワクワクです。

持続化給付金

ご多分にもれず、ゴーシュもこちらを申請することになっています。
といっても、悲観的な気持ちとか、切羽詰まった気持ちというよりは、世の中の仕組みを全身で感じる(感じざるを得ない)いい機会と考えています。
(これまでもそんな出来事はたくさんあったわけなので、何を今頃あれれこれれとなることもないのです。)
なかなかに苦手なデスクワークをしていると、もうですね、「めっちゃ織りたい!ものづくりしたい!」って体の真ん中がうずいてきてしょうがありません。
パソコンからふと目をそらせばそこにはゴーシュの棚にたくさんの糸、糸、糸。
あれとこれを合わせてこんなイメージの布を織りたいな。
またベストも仕立てたいな。
コースターのサンプルももっと織りたいし、メンバーさんへの動画も撮りたいし。
そうだそうだ、ヤマモモの木で試し染めもしたいのだった。
剪定の枝が山ほどあるので、色遊びは止まるところをしりません。
こうしていると、僕はやっぱり「作る人」なんだな、と思います。
手と体と、全身使って形作って、できたー!って笑いたい。
そのためにも、今はパソコン仕事、しっかりやらなきゃだ、、、!

鍋つかみ

鍋つかみを作りました。
ガラ紡のふっくらコットンで織った布。
4枚重ねにして、サイズは13cm×15cm。
何てことのない四角の厚い布。
僕の手にはこのサイズがぴったりなのです。
1枚目はミシンでダダダダダ。
うーん、パワフル!この勢いで2枚目だ。
ダダダダ、ダダダ、いい調子。
さてさて、最後の3枚目。
ふと縫い目を見て思いました。
ミシンの線がビシッと出てる。
なんだかちょっと、硬い感じ。
丈夫だけれど、強そうです。
お台所は大切な場所。
優しい気持ちで、大切な人たちに食べてもらうご飯を作るのだ。
そんな場所で使う物。
使う時に、ちょっと優しくなれたらいいな。
そうだ、手縫いで仕上げてみよう。
ゆっくり焦らず、急がずに。
ほうらやさしい鍋つかみ。
見てても気持ちが優しくなるね。
使い心地も、もちろん柔らかふっかふか。
熱いお鍋もへっちゃらさ。
いつかちくちく鍋つかみ。
みんなで作ろう鍋つかみ。
布から織った、鍋つかみ。
今夜もご飯よ、おいしくなーれ。