仕立て

ゴーシュで仕立てをしているI(アイ)さん。ご自身で織った布と、”こんな形に仕立てたい”という自分の好きな服を持ってきて、この布でこの服を作るにはどうしたらいいかなーと、まずは一緒ににらめっこ。布の幅も違ければ長さも違う2枚の布と、規制の布で作られた服を見比べて、さあ、どうしましょう。まったく同じにはできないけれど、形が気に入っていて、でも布の厚さも違うから同じシルエットが出るのかどうか、布はなるべく切りたくないし。
作るものを事前に決めて、デザインしながら織っていけば、こんな時間はありません。
初めに設計をしっかりすれば、あとはその通りに進むだけ。仕立ての時間もスムーズに進むでしょう。
でも、アイさんはスムーズに仕立てたいわけでも、早く仕上げたいわけでもなくって、織って作る時間を好きに楽しみたいんだなー!ということがビシビシ伝わってくる作り方をします。
もう、やわらかくって、寛容で、見ていて気持ちがいいくらい目の前の布と形に順応して行くのです。
こうの形にしたいけど、そうするとここを切らなくちゃいけないから、でもなるべく切りたくないからじゃあこうしよう!こうしたら形はどうかな?あ、いいかも!いい気がする!そんな感じでどんどん決めていきます。自由に作るっていいなぁ!って感じ。あぁ、この感じ、僕も知っていたなぁ。と、吉祥寺で織り、仕立てていた頃のことを思い出すようでした。
今の僕といえば、あの頃と比べて随分違う感覚で織りをしています。もう、100%感覚だけで織っているなんてことはありません。でも、思いつきに委ねてどんどん変わる織りを楽しんでいたあの頃と、デザインもしながら感覚的な要素を織り込んでいる今の織りと、どちらも楽しいと思って織っています。手仕事系のお教室では生徒さんの作風が先生の作品に似てきたりすることがよくあると聞きます。
でもこれまでのゴーシュではそんな方は現れず、むしろみなさんご自身の織りたいように織りたいものを織っていってくださいます。僕みたいに織りたい!って方が現れたらそれはそれで嬉しいのかもしれないけれど、今みたいに一人一人が違うものを好きなように織ってくれている状況が最高だなぁ!と思ったりしています。織りにも仕立てにも一種の”型”はありますが、自分や家族のためのものづくりなら、その”型”はそんなに気にしなくっていいと思います。だから、自由に仕立てるってことが輝いて見えるんでしょうね。何も決めずにひたすら楽しんで織って、仕立てをしたくなったらその時に考える。
この布でどんなものが作れるかな。どう作れるかな。自分で考えて仕立てたものは、言葉以上に特別な一枚になってくれますよね。完成が楽しみです。

展示会、感じたこと

おかげさまで3週連続展示会も無事終わり、日常に戻りつつあるゴーシュです。
先週はゴーシュもオープンしまして、久しぶりにメンバーさんにお会いしたり、体験さんとのやりとりもあったり。織った”もの”を伝えるtsutaeの活動と、織る”こと”を伝えるatelierゴーシュの活動を並行して行っていますが、やっぱり僕の日常はここ、ゴーシュにあるなぁという安心感をいただく時間でした。

まだまだ”織る”ということが暮らしの選択肢にないもので、それも”もの”と”こと”で表現しているわけなのですが、とりわけ新木場で行われたイベントではとてもとても良い反応をいただけた感触があります。
織機とともに、織りながらストールたちをご紹介させていただいたのですが、やはり会場にいらっしゃるみなさんは織機を見たことがない方ばかりです。
特性上、人より手仕事に興味がある方々がいらっしゃるイベントなのですが、それでもみなさん興味深く織機を見てくださり、「織る」という工程を受け止めてくださったように感じました。

細かい作業に思えるけど、大変さより楽しいこと、創造性が高い作業なこと
織る人で織り上がるものが変わること
いわゆる手織りと機械織りの違うところ
ひとりでタテ糸作りから織り上げまでをしていること
デザインしすぎると織る人も見る人も面白く無くなること
でもデザインも大切に思っていること
、、、、、

ひとつ聞かれたら5も10も話したくなってしまうところがある僕なので、あまり自分のペースでお話ししすぎないように、こういった場では特に気にしていたりします。
ですが、みなさんぐっと”織ること”に興味を持ってくださり、ストールもじっくり見てくださる方も多くいらっしゃいました。

個展ではこれまでのお客さま方や、そのお友達の方々でしたり、なんとなくどんな方なのか見える方との交流が多いのですが、イベントでは初めてお会いする方ばかり。
そんな中でこれだけのコミュニケーションをさせていただけたことは、本当に貴重な時間でした。
今の時勢ですから、なおさら強く感じています。
なんといいますか、 “織ること”を肯定してもらえたような感覚をいただきました。
本当にありがたい限りです。

最近はぐっと制作に時間をいただき、来月に行うつくばでの夫婦展に向けて準備をしています。とはいえこちらはお店さん企画のイベント。展示会は行いつつ、11月はゴーシュもオープンいたします。肌寒い日も増えてきて、織る楽しみがより増えてくる毎日。糸仕事が本当に嬉しいんです。

織ること、織るもの、これからもこれらを両足として踏ん張ってまいります。
またゴーシュで、時に展示会でお会いしましょう!


平織り

今年は平織りをたくさん織っています。
基本ゴーシュでお伝えしている手織りは平織りという織り方なのですが、僕自身の制作ではここ数年綾織り、ヘリンボーンなど、色々織っていました。
しかしながら今年は手織りをはじめて10年目、原点回帰という気持ちもあったり、シンプルに織りたい柄が平織りだったりしています。
しかしながら、平織りの面白さといいますか、良さといいますか、改めて感じています。
・タテ糸の色、配色のバランスがよく分かる
・タテ糸の密度とヨコ糸の量の関係が見えやすい
・薄い布が織れる
・丈夫な布も織れる
・織り組織がシンプルな分、遊びが効きやすい
・臨機応変さが身につく
などなどでしょうか。
もちろん、「どんなものを織りたいか」でこの感じ方は変わるのですが、それにしても、自由度が高い平織りはやっぱりいいですね。
織っていて無になれる感覚っていうのかな、ただただシャトル飛ばしてヨコ糸を通す感覚が心地よいことも感じれるようになります。
反復作業って楽しいじゃないですか?
右へ左へパッタントントン、シャコンシャコン。
慣れてきたらなおさら楽しいし、自分の選んだ糸をタテ糸の間に通して織るとこんな色に見えるんだー!なんて、今になっても思います。
そう、10年織っても、発見があります。新鮮なのです。
多分この色の組み合わせってこれまでにもしてるはずなのです。でも、していることは10年前と同じだとしても、10年経った今は違う感じ方をしている。そして、違う楽しみを感じれている。なんか、書いていてこれはすごいことだなー、と思いました。ずっと楽しいんですもの。織りに対する感じた方も、色使いに対する感じ方も、まったく違う。平織り、胸を張っておすすめです。

織りの失敗

タテ糸作りをしていて「あれっ?!」ってなることがあります。
織りの設計はほとんどしないのですが、それにしても感覚だけで織るだけでなく、考えながら織ることの楽しさを知ってからというもの、ああ織りたいこう織りたいという気持ちがクリアになってきました。
今はグラデーションのタテ糸を作っているのですが、そこで、しっかりとそれぞれの色数、配置を設計しずぎずに(あえてです)手を動かし始めました。
経験則で「いい塩梅」にできる、なるとふんでいたんですね。
ずれたらずれたで落とし所も見つけられますし、気持ちいいずれ方もあったりします。こうしなきゃダメ、なんてないので失敗という概念すらないのが設計しずぎない利点なのですが、こと、今回のグラデーションには当てはまりませんでした。タテ糸作りの途中で「あれっ?!」ってなってしまって、むむむ、、、とうなって、糸の通し直しをしたりしました。
失敗なんてないはずなのに直すなんて変な話ですが、これは違うぞ、気持ちよくないぞ、となってしまったのです。
グラデーションになっている、ちゃんとグラデーションに見えるタテ糸をつくりたかったんですね、僕は。
「急がば回れ」でしっかり設計をしてから動けばよかったのですが、百聞は一見に勝りませんし、そもそもグラデーションなんて今まで織ったことないものですから、結局「設計しないで間違った」という貴重な経験ができた、ということに喜んでみたりしつつ、また初めての織りに挑戦する時には、「まずは織らなきゃ分からない!」なんて言って、また失敗したりするんだろうな。

リバーシブルの交叉織り

今日(6/24)インスタグラムでメンバーさん向けのサンプル織り画像をアップしたのですが、その織り方をこちらでご紹介してみますね。(メンバーさんへ→後日動画もアップしますー!)

・リバーシブル織りのタテ糸を作る。
 タテ糸を2色選んで、それぞれの太さを1:10くらい差をつけます。
 例 白1本に対し茶10本取りにし、交互に白、茶、白、茶と通し、時々、茶、白、茶、白、と順番を逆にし、また、白、茶、白、茶、と元に戻し、細い白と太い茶が交互になったタテ糸を作る。

・リバーシブル織り方で交叉織りをする
 リバーシブル織り→タテ糸とは逆にヨコ糸は太い白、細い茶、を一段ずつ交互に織り、時々また順番を細い茶、太い白、に変え、また元に戻し、、、を繰り返すと、白の面と茶の面ができてリバーシブルになる。

 交叉織り→右から通したヨコ糸に、左側で違う糸を引っ掛け(交叉させ)、一段に2色入れる織り方。

リバーシブル織り方で交叉織り→右から太い白を通したら左側で太い茶を交叉させる→次の段で右から細い茶を通したら左側で細い白を交叉させる→時々リバーシブル織りの要領で白と茶の順番を変える→交叉させる時に太い茶を違う色(インスタではダークレッド)に変えたりして、模様の出方の変化を楽しむ。

うーん、、、、リバーシブル織りの変化系としてすごい掛け算みたいに模様の出方が複雑になっていくし(でも2枚綜絖でできるし)、いろいろーんな表情に出会えるから面白い織り方だと思うのですが、文字にすると全く伝わる気がしません、、、、!すみません、、、。

糸をコーン巻きする

今日は染めた綛糸(かせいと)をコーンに巻き直す作業(以下コーンアップ)をしました。
糸を染めるためにはまず糸を綛(かせ)という状態にした方が染めやすく、その綛で染めた糸をゴーシュにあるようなコーン巻きの状態にしてから織る、ということが一般的な糸染めの流れ(のはず)です。
のはず、というのも、染めに対して師というものがおりませんで、本を読んだり見聞きした情報をもとに「やってみている」ので、「これでいいはず」という作業進行だったりします。
だからか、ただただ僕が慣れていないからか、すんごく時間がかかってしまいまして、これはちょっと先が長いぞ、、、という状況が見えました。
すごい前進!
というのも、手織りをしていると、「染めはしてるんですか?」「紡いでいるんですか?」とひんぱんにご質問いただきます。
している、と言えるほどの経験はないのですが、したことがある、くらいなのでそのままお伝えしているのですが、今年は染めもしたい(久しぶりに)!、ということで、今日はそのコーンアップ作業だったのです。
しかしながら、みなさんにお伝えする前に僕自身がある程度慣れておかねばならぬ現状がすっごく浮き彫りになりまして、どんな方法がいいのか、簡単に楽しくできるのか、ちょっとムフフと考えております。うん。簡単に楽しく、がいいですよね。はじめの一歩はどんな形がいいか。お庭の藍が育つ前に決めなくっちゃ!

手織りの自由さ

最近、改めて手織りの表現技法としての自由さ、寛容さを感じています。
商業的な手織りでなく、個人の楽しみとしての手織りは自由表現にとって最たるものですし、商業的な手織りですらこれからはそれが当てはまるのかも?と思っています。むしろ、明確な表現や、個人的な想いが伴わないと手織りという形式で商業的に成り立たせることは不可能かもしれない、と思ったりもしています。
手織りでご飯を食べたいと思っているなら、それこそ個人(自分)の想いを見つめて見つめて、それを表現していくしか道はないのかもしれません。
ご飯を食べるかどうかはさて置き(書きたいことが脱線するところでした)、手織りは本当に自由だな、と。
絵を描くことほどに自由かもしれませんよ。
だって、分業制で(産業として)続いてきた手織りにあって、それを個人の楽しみとしてやろうということで、タテ糸作りから織り上げまで自分でするって、すんごい自由度高いことだと思うのです。
手織りでよく言われるのが、タテ糸作り8割、織り2割みたいなことなんですけれど、そもそも自分が織りたくて織るのだから、その8割の中でも2割の中でも、自分の気持ちのままに変化ができるってことなんです。
分業制だと、まずはじめに織りの設計が必要ですし、その設計に沿って各ポジションの人がそれぞれのプロフェッショナルの仕事をしていきます。
だから、設計から逸れたらそれぞれのプロの能力が発揮できなくなるので、やっぱり設計って必要なのです。分業では。
でも、個人の、自分が楽しむ織りであれば、全部自分でする前提なので、設計が必要ないのですね。織りを行う上で工程に対する知識はある程度必要ですし、あったほうがより良いとも思いますが、設計まではしなくても、楽しく、心地よく織ることってできるんです。
もちろん、設計してから織るとしても、自分で全部したくてすると思えば、それもまた喜びと楽しみの一部になってくれます。
「手織り」と聞くと、時間がかかる、手間がかかる、と思われる方も多いと思います。それも一部本当です。
でも、織りとの向き合い方次第で、まったく違う世界が広がっていきます。
手間がかかるからこその楽しみがあり、豊かさや特別な時間を感じることができたりします。
僕自身、昨年までと少し違う工程、考え方で織りと向き合い始めました。
そうして冒頭の感覚がぐわわ〜っと湧いてきたのです。
「いやー、手織りってほんと自由ですね。」
って、内心ワクワクしています。
それは、メンバーさんの作品を見ていても感じることだったりして。
世にあるたくさんのものづくりの、手仕事のひとつとして、これからの世にもやぱり手織りはあったほうが楽しい世界になるよな〜、なんて思った1日でしたとさ。

想い通りに織る

今日は秋の展示会に向けてストールを織り始めました。
シンプルでプレーンな印象のストール。
そして、織りながらふと思いました。
織りを始めた頃は、こんなシンプルなものは織れなかったなって。
織りたいものを織ることは変わらないのですが、あの頃は、織りながら完成したデザインが浮かび始めたらあえてそこから離れるように織っていました。
見えないところへ、もっともっと知らない世界を見てみたい。
そんな気持ちで無我夢中で織っていました。

でも、今はけっこう変わって来ています。
デザインが浮かんだら、素直にそのまま織り上げるようになりました。
思い描いた色、サイズ、巻いた時の感じがどれだけ実際と同じなのか。
イメージを形にできているのか。そこに自然と向かうようになりました。
そう織ることが、心地よくなりました。

そうして、またふと思いました。

まったく先の見えない世の中で、誰もが不安と共に生きるようになっているのだから、せめて自分の物作りくらい、自分の思い通りにできたらいいよね、って。

「自由」という言葉で手を離すのではなくって、織りたい人にそっと寄り添い、想いや進みたい方向を汲み取りながら、その人自身の織りたいものが織れるように、手織りの優しさを感じてもらえるように、ゴーシュという場が在れたら、これほど幸いなことはないです。

織りたいもの、一緒に織れるようになりましょうね。

織ること

久しぶりに織っています。
整経して、筬通しして、綜絖通しして、巻き取りして、織り機の前に座って、織っています。
ひとつひとつの工程を自分のペースで進めていって、「この色の次はこの色い入れたい!」と閃いたら、その発想のままに色を重ねていく積み重ねがなんとも気持ちが良いいのです。
最近曇りや雨続きで、気持ちも晴れやかになりずらかったのですが、色を織り重ねる世界はなんとも鮮やかで心地よくって。
身体の細胞の隅々に血が巡っていく感覚と言うのでしょうか。
不思議なのですが、織っているとどんどん元気になっていくような気がします。
それくらい久しぶりに織ったからでしょうか。
手織りキット制作や動画撮影で織ること自体はしていたのですが、これらは明確に「伝えたい相手=みなさん」に向けての織りだったりするのですが、(もちろんその瞬間瞬間は楽しく織っていますよ)、今日の織りはなんともなしに決まりもなく、感覚的な色合わせで織っていく感じ。
それがとても心地よく気持ち良かったのです。
自由な感覚で織る。
このことを僕はいつの間にか忘れかけていたのかもしれません。
気がつけてよかった。
もっともっと自由な気持ちでものづくりができるはずだなーと思うと、それだけでまた元気が湧いてきました。

細かい作業

手織りキットのサンプルを織っていて感じたことがあります。

「細かい作業ってすごい楽しい!」

というのも、足踏み式の織り機と違ってキットは織る際、どうしてもひと目ひと目経糸をすくって織らないといけないですし、模様を織るにしても一段ずつ織るというよりは、やっぱりひと目ずつ織る、というような方法になってしまいます。
でも、そのひと目ずつという進み方がなんとも心地よかったりしまして、むしろだからこそ細かい模様織ってみよう!なんて気持ちになったりします。
これは織るサイズがコースターの大きさに限られていることが功を奏しておりまして、もしマフラーやマットなんて物を緻密に織ろうと思ったら、それはなかなかどうして、途中で気持ちが折れかけません。
緻密な物を織ろうとするのではなく、織りたいように織ろうと思ったら結果緻密に織っていた、くらいが気持ちいいです。
そうして、湧いてくるイメージや、織っていて気持ちいい方向、色合わせに向かって進んでいく。
無我夢中に、時間を忘れて、自分の内面に向かってものづくりができる楽しさが手織りにはあるなぁ、なんて思いつつ。
そうして、織った物が自分の暮らしを彩って、いつの間にか友人知人、離れて暮らす家族の元へ旅立っていったりして。
目の前の手のひらサイズの織物が、自分の世界をどんどん広げていってくれる感覚。
ずーっとこの世界を繋げていくために、やっぱりしっかり、目の前の細かいことをしようって思います。