自分なりを重ね合う 2019.08.27 ゴーシュにいらっしゃるとみなさん、建物やお庭をとても誉めてくれます。そして、お掃除、お手入れが大変でしょう、と心をくださいてくださる方もいらっしゃいます。基本的には自分で選んでこの場所、この状況を作り出しているので大変だと感じることは無いのですが、言われてみると大変と感じる気持ちももちろんわかります。楽な作業かといえば、決して楽ではないですしね。でも、お庭の草刈りをしていると、身体的な大変さより、そこから得られる達成感だったり、小さな小さな気づきのようなものがあったりするので、やっぱり自分でやり続けたいと思っています。1回で全部やろうとするととても大変ですし、とても手が回らない。ゴーシュのお庭はそれなりに広さもあるので、ひとりだと丸1日仕事になってしまいます。日々の作品制作もしたいですし、他にもあれこれ日常の仕事だってあります。大概は時間を決めて草刈りするのですが、決めた時間にキリがよく終わらないことだってままありますし。そして、お庭に生える草ぜーんぶを刈り取るわけでもありません。そうしてですね、僕はこの草は刈るけどこれは残す、とかあれこれ考えながらしているわけですが、それはどれくらい見ている方に伝わるんだろうな、なんてふと思ったわけです。人によっては全部さっぱり刈り取ったほうが綺麗と感じるでしょうし、色んな草がたくさん生えている方が、ありのままの自然を感じて綺麗と感じる人もいるでしょう。僕は気になるからこの草は刈るけど、そうじゃ無い人もいるんだろうなーなんて思うのです。これを例えば街中で考えてみると、ゴミを拾う人もいれば拾わない人もいますし、そもそもゴミが落ちていることに気がつかない(気がつけない)人だっているわけです。人それぞれ色んな状況がありますものね。だから、みんなでゴミを拾いましょう!と言うよりも、みんなで綺麗な街を作ろうぜ!ってな気持ちで、みんなそれぞれ自分の気持ちが綺麗だなって思う環境を自分で作ろうとしていけば、みんなそれぞれのゴミを拾うようになるでしょうし、拾わないように見える人も、きっと違うところで何かを綺麗にしていたりして、結果そこに暮らすみんなが気持ちいい街ができたりするのかなー。つまりは、少しでも重なる部分を見つけられたら、違う考え方や価値観も気持ちよく共存できるんじゃなかろうか。なんてことを草刈りしながら思ったりしましたよ。土が近くにある暮らしは、色んなことを感じさせてくれてとても楽しい。