-ゴーシュ、始める-

その物件が先日観たばかりの「人生フルーツ」の世界と見間違うのも無理はなくって。
お庭には大きなシンボルツリー
ブランコに広いデッキ
イチジク、柚子、柿、グミの木、プラム、枇杷、、、
果樹もたくさん。
畑ができるようなスペースもお庭にはあります。
建物の外観、内装、共に木がしっかりと使われていて、天井も高い。
きっと、暮らす事を大切に、日々の時間を気持ちよく生きたいと願った人がこの家を建てたんだろうなぁ。
誰にでも合う家では無い。
でもここで日々を楽しみ暮らしていただあろう人たちの姿が浮かんできました。

こんなところで手織りができたらどんなに気持ちいいだろうなぁ。

アトリエを開く事などずいぶん先の未来だと思っていたのですが、ふとそんな考えが頭をよぎり、織り機が並んでいる風景が見えてきました。

そうして内見が終わり現実に戻り、改めてジュコさんと相談。
二人で住むには広すぎる。でも住みたいよね。
もう一度、お日様が高い時に来てみようか。
日当たりって重要だよね!
このおうちで何ができて、何ができないのか、このおうちに住んだらできるようになる事と、できなくなる事はなにか、考えられる事は全部考えました。
現実的な固定費や、交通費、ガソリン代など、都内暮らしでは考える事がなかった事もあれこれ出てきました。
もし、アトリエやるとしたら駐車場も借りなくっちゃ。
うむむむ、うむむむ。
そもそも、つくばで手織りに興味がある人っているのかな、、、、。
うむむむ、うむむむ。
魅力的すぎる物件を前にしながらも、考えれば考えるほどリスクってものが明確に見えてきました。
そして、「やらない理由」もびっくりするほど見つけられました。
探してないはずなのに、見つかる見つかる。
少しずつ弱気な自分と仲良くなり始めた時、ジュコさんが言いました。

「あたしは決めて動き出してるのに、何言ってるの?!」

ジュコさんは自分で会社をやってて、従業員も抱えていて、職人さんたちの仕事の事も考えていて、事務所の移転と暮らすところの変化と、他にも考える事が山ほどあるなかで、つくばで暮らす事を決めてくれていました。
かたや僕は手織り作家。
個人事業で、基本的には自分基準で物事が決められる。
僕よりも抱えるものがある人が、僕より先に、決断している。
自分、かっこ悪!
何、やらない理由ばっか見てんのじゃ!
やらなかった後悔の方が始末が悪い事くらい、もう今までで充分知っている。
だったらやろう。
やれるチャンスがあるんなら、やったほうがいいでしょう!
やって良かったかどうかは、やってみないと分からない。
今度は、やる理由ばかりが見つかるようになり、やるためにはどうしたらいいかが見えてくるようになりました。
そうして、atelierゴーシュを始める事になりました。

-つづく-

-物件と出会う-

「人生フルーツ」を観た僕たちは、いいね、気持ちのいい暮らしだね、いつかあんなお家に住みたいね、なんて言い合いながら、僕は心の中で、つくばに戻ってきた理由をぐっと思い出していました。
さて、その頃の話題を占めていたのが二人の暮らす場所のこと。
一緒になるのだからやはり一緒に住みたい。
暮らしていて楽しい、帰りたくなるような場所に住みたい。
そんなことを考えつつも現実は現実。
ジュコさんの仕事を考えたら、都内に戻ることもありえるな。
つくばから浅草って通えるのかな?
そもそも、僕と出会うまでつくばのつの字も知らなかった人が、つくばに来ることってイメージできたりするのかな。
お互いの間をとって守谷とか?流山?
色々なことを考えて、浅草界隈、つくばでも、何件も内見に行きました。
都内だったらやっぱりマンションなのかな。
でも平屋にも住みたいね。
ならばつくばかな。
でも駅近だとマンションになっちゃうね。
だったら都内と変わらないかもね。。。。

何件も見るうちにひとつ、気になる物件を見つけました。
庭付き一戸建て。駐車場もある。(縦列だけど)
駅まで車で10分。
結構広そう。
いい感じかもしれない。
でも、、、、家賃が高い。。。。
うーん、どうしよう。予定していた予算の1.5倍かー。これは見に行っても借りられないよな。。。うーん。でも気になるな。
見に行くだけなら、、、、いいよね?と自分を納得させて、何も知らせていなかったジュコさんを連れて、内見に行きました。
日も傾き始めた夕暮れ時。
オレンジ色の光に照らされたその物件を見て、僕たちは顔を見合わせ言いました。

「ここ、人生フルーツみたいじゃない?!」

-つづく-

-人生フルーツ-

人生フルーツ」 がつくばにやってくるって聞いて、これはいても経ってもいられない!と思い、インスタでご紹介して、ゴーシュに来る方にもお知らせしてってしていて、自分でも2回目だけど観に行って、そうしたらそうしたら、なんと、、、、いいものは何度観てもいいですし、その時々の気づきがあるものですね。順を追ってお伝えしていかないと、伝わることもちぐはぐになってしまうのでその時まで実らせておくとしましょう。
本当に、人生はフルーツなのかもしれません。

さて、少し話を戻しますね。
今のつくばを知った僕は、家もある、部屋もある、畑もある、と喜び勇んで実家に戻り、母と二人15年ぶりの(もはや)共同生活をつくばで始めました。
2016年の5月です。
手織りだけじゃない、ご飯はもちろん、野菜だって種から育てちゃうぞ!作れるものはなんでも自分で作るんだー!と畑に向かっていたら、都内で暮らし、浅草で仕事をする素敵な女性、ジュコさん(今の奥さん)と出会いました。
気になったら突き進まないと気が済まない性分は変わりません。
つくばに根をはる気持ちで戻ったのに、週末は都内に通う日々。
イベント出店があったり、ジュコさんに会いに行ったり。
色々と理由はありますが、当初の想像にはまったくないほど、東京との心の距離は変わらないつくば暮らしとなりました。
きっと、「お前はまだ都会から離れちゃいかんのだー」と誰かが言っていたのでしょう。ジュコさんとのお付き合いが始まってからは、お互いに東京とつくばを行き来する週末になりましたが、それはそれは違和感のかけらもない、充実の日々でした。
そうして、出会った年の末、僕たちは家族になることになりました。
より一層、二人でいる時間が濃密になり、未来が開けていく感覚。
無敵感、とまでは言えないけれど、それでもなんでもできるような、やりたいような、そんな気持ちが満ちていました。
色んな所へ行って、色んな話をして、色んなことを感じて、お互いの価値観を知り合って。その頃はあまり一緒に映画を観たことはなかったけれど、「人生フルーツ」は一緒に観たいと思って、東中野の小さな映画館に行きました。
2017年、1月のことでした。

-つづく-

記事公開忘れ

1月28日に書いた記事が非公開のままになっていたことに気がついて、2月1日(今日ですね)公開にしました。
というのも、どうしても実名でご紹介したい方々がいたのですが、やはりここは本人に確認をとってからでなくてはまずいのかな?という疑念が湧いたからなのです。とてもポジティブな気持ちで、そんな内容なはずだけれど、今時はインターネットモラルということもあります。
良かれと思って、それこそ本人同士は良くっても、立場が許してくれない時だってありますものね。
記事を書くだけ書いて、無事もろもろの確認もとれて、それで安心してしまったのですね。
記事掲載の了承を得られたのに、肝心の記事アップができていませんでした。
なんてこったい。
「僕のこと」の続きを書こうとしたのですが、ノジマさんのこともぜひお知らせしたいので、ひとまず、何日か様子をみてみますね。
(記事を書くと過去のものは後の方へ流れちゃいますからね)
この記事を読んでくれた方が、ノジマ-つくばイーアス店に行って、そのお三方と出会ってくれたりしたらとても嬉しい!

「ノジマ イーアスつくば店がいい!」

つくばに戻ってからというもの、面白い方々とばかり出会っているのですが、今日はちょっと真面目に書いていた僕のこれまでのお話から、ちょっと脱線してみます。
だって、週末行ったノジマさんでの体験がとっても気持ち良すぎたんですもの。
かなりポジティブな気持ちで書いた内容なので、スタッフさん方のお名前もそのまま書かせていただいています。(了承済み)
また、あの人たちに会いに、ノジマ行きたい。
ではでは、相変わらずの乱文なので、長文になりすぎ無いよう割愛しているところも多々ですが、読んでみてください〜。

—–
週末、携帯のキャリア変更相談にイーアスつくば2Fにあるノジマ(電器屋さん)に行ってきました。
ソフトバンクからYモバイルに変えるかどうか、プランや機種代金や解約金や残債金やランニングコストやあれこれ考える事がありまくる中、どーにも答えが出せずに伺ったのですが、とても、いや、本当にとても丁寧に対応してもらってしまって。
移転セールで忙しい最中だったのですが、こちらの対応まで忙しくなることがなく、むしろ何もわかっていないこちらの立場に寄り添ってくれながらのご説明。そして、最後には「お時間頂いちゃってすみません、、、。」とあくまでこちら側に立ってのやさしい言葉っ、、、!
いやいやいやいやいや!
そんなことないですってー!
メインで対応してくれた市橋さんの丁寧さ、謙虚さ、そしてしっかりとした知識あってのプラン、変更時期などの提案力、、、感激でした。
そして、その感激を倍増してくれたのが、周りのスタッフさんでした。
市橋さんが別件対応で席を外された時に、スッとフォローで来てくれた古谷さん。
気さくすぎるほど?カジュアルな雰囲気にも関わらず、嫌な気持ちにさせない絶妙なトーク。それはやはり、当然のごとくしっかりとした商品知識や経験が土台にあるからなのですよね。もーう、ふむふむふむふむ、と前のめりでモバイルについてやその他あれこれ豆知識を聴き入ってしまいました。
そして浅野さん。
直接対応していただいた訳ではないのですが、以前電話で問い合わせた際に対応してくださっていた方で、今回ご挨拶だけできたのですが、、、。
これまたとても感じがいい方で。
なんというか、安定感?安心感?
「何か気になることがあれば、質問だけでも構いませんのでいつでもお電話ください〜」
と、言ってくれたりするのです。
そうして、そして、このお三方がまたいい感じで仲が良かったりするのです。
年齢も入社時期も違うのに、尊重しあっているというか、いい感じでライバルでもあるんだろうな〜なんてこちらも感じるというか。
こうなってくると、店長さんはどんなチーム作りをしてるんですかー?!とか、ノジマという会社自体のことも気になりだしちゃったりとか、、、、。

電器屋さんの接客で感動した事なんてなかったので、本当にびっくりしました。
そして、とってもなんだか嬉しい気持ちになりました。
このお三方が全員20代ってこともあるのかなー。
でも、やっぱりちゃんとした人はちゃんとしてる。
年齢じゃないんだよなー、ってことを改めて感じさせてもらえたからなんだと思います。
もちろん、お買い物も楽しくさせていただきました。
最後は「また遊び来てくださーい!」なんて言ってくれたりする。
こんな電器屋さんって、、、、、!

いえいえいえいえ、また、お買い物しに行かせていただきます!

ーつくばの今を知ってー

18歳まで過ごしたつくばを離れ、12年。
盆と正月しか帰ら無いような暮らしだったのが一転。
毎月つくばに戻る度に、びっくりするほどつくばの変化を感じました。
そして、それを魅力に感じました。
個性的な個人事業主の面々。
移住者に寛容な空気。
イノベーションを進める行政。
コストコができるって!IKEAも?!
どんどん整備されていく駅前の町並み。
各地に残る祭り事と、これからのコミュニティをつくる新しいイベントの数々。
10代の僕が知らなかっただけで、本当にたくさんの価値観、可能性がもとからつくばにはあったんじゃなかろうか。
華やかな事ばかりではもちろんなくって、地域によっては過疎化が進み、僕が通った小、中学校も廃校になりました。
若い世代も、なかなか戻って来ないそうです。
空き家問題があるのにも関わらず止まら無いスクラップ&ビルド。
、、、、、。
東京に憧れ、東京に行かなくちゃ自分はダメになるとまで思い込んだ僕でしたが、そんなつくばに戻って、僕も自分の道を作っていきたいと思うようになりました。
自分の仕事を自分で作り、もっと全身で世の中と繋がっていきたい。
自分の暮らしを自分で作り、本当に地に足を着けた、心の落ち着く日々を重ねたい。
それがつくばならできる。
そう思い、つくばに戻る事を決めました。

-つづく-

-手織りを始めてから、その後-

「うちのスタッフになってみない?」

まったく予想していなかった言葉に最初は戸惑いました。
ですが、話すうちにオーナーが気持ちで声をかけてくれていることが伝わり、僕もどうせやるなら全身で織りの世界に飛び込みたい!と思い、タテ糸作りも何もわからないまま、手織工房のスタッフとしてお世話になることになりました。

その後は工房仕事と共に、時間があれば作品(といっても、本当に好き勝手織っていただけ)製作を続け、2年目の冬には個展を開いたり、手創り市に出店したりと個人活動も始めていました。
一日中、織りのことを考える日々はとっても充実していましたし、織りを通して出会う人たち、物作りを通して広がる世界がとても刺激的でした。
大好きな吉祥寺の街に住み、職場も吉祥寺、製作活動も続けられている。
なにひとつ不満の無い暮らしでした。

そうして30歳になるころ。
自分のこれまでと、これからを改めて考えていました。
僕は、これまでどう生きてきて、これからどうやって生きていくのか。
どう生きていきたいのか。
そうした時に、思いました。

もっと土に近い暮らしをしたい。

地に足をつけた日々を送りたい。

そのために僕がいる場所はどこなんだろう。

地元つくばのことが浮かんできました。

つくばの実家では母が畑をしながら、ほとんど野菜を買わない暮らしをしている。
土地がある。
家がある。
東京にもすぐ来れる。
もしやつくば、今の僕にとってとてもいい環境だったりするんじゃないの?

30歳になった僕は月に1度、つくばに帰っては地元の友人に会ったり、いつの間にか変わっていくつくばの町並みを見て回ったりするようになりました。

-つづく-

-手織りとの暮らしを始めるまで-

-糸、売ってます。-

ミシン糸や刺繍糸しか見たことのなかった僕は、いわゆる工業用の糸、のようなサインも相まって気の向くままにそのお店へ足を運びます。
吉祥寺の商店街に面したマンションの3階。
表からは見えないそのロケーションも心を踊らせる。
少し空いたドアから漏れる光に導かれて入ったそこで目に飛び込んできたのは、糸より先に織機でした。
そこは糸屋さんではなく、手織工房だったのです。
そこで、手織りのこと、糸のこと、表現に対する考え方のこと、色々と話を聞き、一気に好奇心に火がついた僕は、日を改めて手織り体験に向かったのでした。
その後、織ってみたら気がつくこと、感じること、初めて知ること、多々、多々。
一番に感じたことといえば、「手織りってこんなに自由なものだったの!?」ということでしょうか。
なんとなーく思っていた「手織りってこんなもの」というイメージ(思い込み)がどんどん無くなっていき、その面白さと可能性にのめり込んで行きました。
もともと服好きだった僕は、自分が織ったマフラーを巻いているだけで、なんだか特別な自分になれたような気がして、それこそ、誰にもできない自分だけのファッションを見つけられたような気がして、とても嬉しかったのです。
その後は、時間があれば体験に足繁く通い、1~2年くらい、好き勝手に、織りたいように織っていました。
僕が体験で織るとなりでは、会員さんがタテ糸作りからオリジナルの作品を製作していましたが、「そんな細かい作業無理無理!」なんて思いながら、わさわさ、もじゃもじゃ、時にちまちま、織っていました。

そうして転機がやってきます。

キャンディ屋さんでの仕事を辞めることになりました。
オーナーとの確執、というと聞こえは悪いですが、どうにも僕の我が強すぎたのです。その後、オーナーとは街で会っても話をしますし、わだかまりは無いのですが、その当時の僕は、全然ダメで。。。
兎にも角にも、次のステージへ進まねば。
この道が無いのだから、違う道を歩かなくっちゃ。
そこで浮かんできたのが、手織りの世界でした。

織れば織るほどのめり込んでいく手織りの表現、工程。
タテ糸作りから自分でできるようになれば、どんなものが織れるのだろう。
そんな気持ちのまま、手織工房の会員になってやってみようと改めて門を叩きました。
そうすると、思いがけない言葉が聞こえてきたのです。

「うちのスタッフになってみない?」

つづく。

– 20代、手織りと出会うまで –

1月14日、成人の日ですね。
当時、「成人式にはちょんまげ袴で出るんだ!」と息巻いていた僕は、古着好きもあいまって全力で髪を伸ばし、それこそ、襟足が肩甲骨に届くくらいまで伸びていたころもありました。
ごそごそしてみたらあの頃の画像が出てきたのでちらり。


ちょうどハタチの頃、吉祥寺はハモニカ横丁に足を踏み入れ始めた時です。

ちなみに今はこれ。

農家のおじさん?

いやいや気を取り直して、当時は花火大会でもないのに浴衣を着ては街中を歩いてワクワクしていましてた。
僕は自他共に認める服好き、いわゆるファッション野郎だったんですね。
一般大学には行ったものの、時間があれば原宿、渋谷、青山、代官山、下北沢、高円寺、時に町田、帰郷の途中下車で柏とか、服屋があるところ所構わず行けそうな街には足を運んでいました。
毎日違うコーディネートじゃなくちゃ気が済まないし、スタイリングを考えることが楽しくってしょうがなかったです。
バンドマンに憧れて、パンクロックよろしくライブに行きまくり、ベースを弾いてバンドの真似事をしていた時期もありました。
それでも仕事として従事したのはもっぱら飲食業ばかり。
料理好きの兄と都内で二人暮らしをしていた時に、料理の楽しさ、飲み歩きの面白さを教えてもらい(教え込まれ?)始めての就職先はラーメン屋さんでした。
7時から22時半まで働き、それから仲間と飲みに行って始発で帰り、2~3時間寝てから仕事へ行く、なんて日もよくありました。
若かったなー。
そんな生活の中でも、パンツを自分で染め直したり、穴が空いたら刺繍糸でステッチ入れて直したり、古着屋巡りを続けたり、、、手を動かしながら、服に近い時間も変わらずありました。

その後、キャンディの輝きに心奪われハンドメイドキャンディーショップへ入店。
たまたまつけたテレビから流れてきたのはちい散歩。
地井さんが街を歩きながらふと入ったそのお店では、液体のキャンディが色付けされて練られ、形がどんどん変わって最後はキラキラ輝くキャンディになるまでの一部始終が目の前で繰り広げられていました。
「温かいキャンディのご試食どうぞ〜」なんて、練り上げたばかりのキャンディをびよーんて伸ばして切って試食であげてたり。
これだこれだ!
僕のやりたかったのはこれだ!
この仕事には飲食業の楽しさと物作りの楽しさと、両方があるじゃないか!
そう思ったらやってみなきゃ気が済まないのは、亥年生まれのB型だから。
スタッフ募集もしていないのに、電話をかけたり、履歴書送ったり、はたまたそのお店のオーナーが海外で修行してきたことを知ったら現地のそのお店まで行ってみて、また働きたいってお手紙書いてみたり。
若かったなー。
今さらながら、結構迷惑かけていたと思います、、、、。
改めて、お騒がせいたしました。。。
そうしてどうにかこうにか入店し、キャンディ職人への道をまっしぐらに突き進んでいた20代中盤。
とある休日、相変わらず大好きな吉祥寺の街中を歩いていた時に見つけた看板の文字に惹かれ、とあるマンションの一室に飛び込んでいきました。

—  糸、売ってます。—

つづく。

インドのこと- 食

インドについて、人の次に思い出すのは「食」です。
初インドの方は誰もがそうであるように?僕たちも食あたりには気をつけていて、水は必ずペットボトル、食べ物も火が通っている物、を徹底していました。
していました。
していました。。。。。
しかし、恐る恐るでも一度手を出してみて、大丈夫、あら、美味しい!となったが最後、道端に屋台を見つけ、そこに見慣れぬ食べ物があれば手を出し、市場の色鮮やかな野菜たちをみては食べてみたい、、、とヨダレを垂らし、バナナは大きな房ごと買いたい衝動にかられたり、と、思いっきり食を楽しんできました。
とは言っても不思議なもので、食べまくりをした、というより、気になる物にはどんどん手を出していたのですが、一日で食べる総量としては日本で食べるよりも少なかった気がしています。
スパイスがしっかりしているから?か、腹持ちがとっても良くって、朝ごはんにサモサひとつ食べたらお昼までぜーんぜんお腹空かないですし、ちっちゃなスープと付け合わせのじゃがいも潰して揚げた不思議な物も、お腹にしっかり溜まってくれるし、本当に量食べなくても満足感のある食べ物が多い印象でした。
あと、インドはカレーおかわり自由との情報を聞いていたのですが、本当でした。
しかも、カレーだけじゃなく、付け合わせ?も。
しかも、一食15ルピー(日本円で25円くらい)とかの屋台でそうだったので、なおさらびっくり。
一緒に食べてたおじさんたちが、さも当たり前に食べているお皿をお店の人に出して、「も少しちょうだい」ってな具合です。
なんなら隣のあんたもどうだ?くらいにお店の人も勧めてくれます。
そして無言でもぐもぐ立ち食いカレー。
THE インド。


これがとっても美味しくって、作っているおっちゃんが渋くてカッコ良くって、4泊5日中3日通いました。(インスタで作っている所の動画アップしたやつです。)

 あちらこちらの道ばたでこんな感じで揚げまくってます。
しかも油の質がいいのか、どこで食べたものも全然お腹がもたれませんでした。

おかわり自由を体感したのはこちら。
カレー(もはやスープ)がさらっとしていて、しっかりスパイスきいていて、薄味なのに食べてる感どっしり!みたいな感じでした。
ローカルたちに混ざって食べる楽しさったらもう!です。

 市場の一角。
見たことありまくるバナナでもインドで食べたら違う味がするのかしら、、、と興味津々でしたが、ここは冷静になってやめときました。
一本だけちょうだいって言ってみればよかったかなー。


この盛り付けはなんかすげー!っなって頼んでみると


繊細に勢い良く盛り付けてくれました。
こちらも薄味の豆カレーだったかな。
この量でもやっぱり腹持ちとってもよい。


レストランにも行きました。
いわゆるインドレストランですが、さすがこういう所は品がある感じの味になっています。これはこれで間違いない美味しさ!

あとは素焼きのテラコッタ(器)で出してくれるラッシー屋さんに行ったり(その器が使い捨てだからビビる)、立ち寄るお店の先々でチャイ出してくれたり、ほんと行き当たりばったりな食事情も大満足の旅でした。