-人生フルーツ-

人生フルーツ」 がつくばにやってくるって聞いて、これはいても経ってもいられない!と思い、インスタでご紹介して、ゴーシュに来る方にもお知らせしてってしていて、自分でも2回目だけど観に行って、そうしたらそうしたら、なんと、、、、いいものは何度観てもいいですし、その時々の気づきがあるものですね。順を追ってお伝えしていかないと、伝わることもちぐはぐになってしまうのでその時まで実らせておくとしましょう。
本当に、人生はフルーツなのかもしれません。

さて、少し話を戻しますね。
今のつくばを知った僕は、家もある、部屋もある、畑もある、と喜び勇んで実家に戻り、母と二人15年ぶりの(もはや)共同生活をつくばで始めました。
2016年の5月です。
手織りだけじゃない、ご飯はもちろん、野菜だって種から育てちゃうぞ!作れるものはなんでも自分で作るんだー!と畑に向かっていたら、都内で暮らし、浅草で仕事をする素敵な女性、ジュコさん(今の奥さん)と出会いました。
気になったら突き進まないと気が済まない性分は変わりません。
つくばに根をはる気持ちで戻ったのに、週末は都内に通う日々。
イベント出店があったり、ジュコさんに会いに行ったり。
色々と理由はありますが、当初の想像にはまったくないほど、東京との心の距離は変わらないつくば暮らしとなりました。
きっと、「お前はまだ都会から離れちゃいかんのだー」と誰かが言っていたのでしょう。ジュコさんとのお付き合いが始まってからは、お互いに東京とつくばを行き来する週末になりましたが、それはそれは違和感のかけらもない、充実の日々でした。
そうして、出会った年の末、僕たちは家族になることになりました。
より一層、二人でいる時間が濃密になり、未来が開けていく感覚。
無敵感、とまでは言えないけれど、それでもなんでもできるような、やりたいような、そんな気持ちが満ちていました。
色んな所へ行って、色んな話をして、色んなことを感じて、お互いの価値観を知り合って。その頃はあまり一緒に映画を観たことはなかったけれど、「人生フルーツ」は一緒に観たいと思って、東中野の小さな映画館に行きました。
2017年、1月のことでした。

-つづく-

記事公開忘れ

1月28日に書いた記事が非公開のままになっていたことに気がついて、2月1日(今日ですね)公開にしました。
というのも、どうしても実名でご紹介したい方々がいたのですが、やはりここは本人に確認をとってからでなくてはまずいのかな?という疑念が湧いたからなのです。とてもポジティブな気持ちで、そんな内容なはずだけれど、今時はインターネットモラルということもあります。
良かれと思って、それこそ本人同士は良くっても、立場が許してくれない時だってありますものね。
記事を書くだけ書いて、無事もろもろの確認もとれて、それで安心してしまったのですね。
記事掲載の了承を得られたのに、肝心の記事アップができていませんでした。
なんてこったい。
「僕のこと」の続きを書こうとしたのですが、ノジマさんのこともぜひお知らせしたいので、ひとまず、何日か様子をみてみますね。
(記事を書くと過去のものは後の方へ流れちゃいますからね)
この記事を読んでくれた方が、ノジマ-つくばイーアス店に行って、そのお三方と出会ってくれたりしたらとても嬉しい!

ーつくばの今を知ってー

18歳まで過ごしたつくばを離れ、12年。
盆と正月しか帰ら無いような暮らしだったのが一転。
毎月つくばに戻る度に、びっくりするほどつくばの変化を感じました。
そして、それを魅力に感じました。
個性的な個人事業主の面々。
移住者に寛容な空気。
イノベーションを進める行政。
コストコができるって!IKEAも?!
どんどん整備されていく駅前の町並み。
各地に残る祭り事と、これからのコミュニティをつくる新しいイベントの数々。
10代の僕が知らなかっただけで、本当にたくさんの価値観、可能性がもとからつくばにはあったんじゃなかろうか。
華やかな事ばかりではもちろんなくって、地域によっては過疎化が進み、僕が通った小、中学校も廃校になりました。
若い世代も、なかなか戻って来ないそうです。
空き家問題があるのにも関わらず止まら無いスクラップ&ビルド。
、、、、、。
東京に憧れ、東京に行かなくちゃ自分はダメになるとまで思い込んだ僕でしたが、そんなつくばに戻って、僕も自分の道を作っていきたいと思うようになりました。
自分の仕事を自分で作り、もっと全身で世の中と繋がっていきたい。
自分の暮らしを自分で作り、本当に地に足を着けた、心の落ち着く日々を重ねたい。
それがつくばならできる。
そう思い、つくばに戻る事を決めました。

-つづく-

-手織りを始めてから、その後-

「うちのスタッフになってみない?」

まったく予想していなかった言葉に最初は戸惑いました。
ですが、話すうちにオーナーが気持ちで声をかけてくれていることが伝わり、僕もどうせやるなら全身で織りの世界に飛び込みたい!と思い、タテ糸作りも何もわからないまま、手織工房のスタッフとしてお世話になることになりました。

その後は工房仕事と共に、時間があれば作品(といっても、本当に好き勝手織っていただけ)製作を続け、2年目の冬には個展を開いたり、手創り市に出店したりと個人活動も始めていました。
一日中、織りのことを考える日々はとっても充実していましたし、織りを通して出会う人たち、物作りを通して広がる世界がとても刺激的でした。
大好きな吉祥寺の街に住み、職場も吉祥寺、製作活動も続けられている。
なにひとつ不満の無い暮らしでした。

そうして30歳になるころ。
自分のこれまでと、これからを改めて考えていました。
僕は、これまでどう生きてきて、これからどうやって生きていくのか。
どう生きていきたいのか。
そうした時に、思いました。

もっと土に近い暮らしをしたい。

地に足をつけた日々を送りたい。

そのために僕がいる場所はどこなんだろう。

地元つくばのことが浮かんできました。

つくばの実家では母が畑をしながら、ほとんど野菜を買わない暮らしをしている。
土地がある。
家がある。
東京にもすぐ来れる。
もしやつくば、今の僕にとってとてもいい環境だったりするんじゃないの?

30歳になった僕は月に1度、つくばに帰っては地元の友人に会ったり、いつの間にか変わっていくつくばの町並みを見て回ったりするようになりました。

-つづく-

-手織りとの暮らしを始めるまで-

-糸、売ってます。-

ミシン糸や刺繍糸しか見たことのなかった僕は、いわゆる工業用の糸、のようなサインも相まって気の向くままにそのお店へ足を運びます。
吉祥寺の商店街に面したマンションの3階。
表からは見えないそのロケーションも心を踊らせる。
少し空いたドアから漏れる光に導かれて入ったそこで目に飛び込んできたのは、糸より先に織機でした。
そこは糸屋さんではなく、手織工房だったのです。
そこで、手織りのこと、糸のこと、表現に対する考え方のこと、色々と話を聞き、一気に好奇心に火がついた僕は、日を改めて手織り体験に向かったのでした。
その後、織ってみたら気がつくこと、感じること、初めて知ること、多々、多々。
一番に感じたことといえば、「手織りってこんなに自由なものだったの!?」ということでしょうか。
なんとなーく思っていた「手織りってこんなもの」というイメージ(思い込み)がどんどん無くなっていき、その面白さと可能性にのめり込んで行きました。
もともと服好きだった僕は、自分が織ったマフラーを巻いているだけで、なんだか特別な自分になれたような気がして、それこそ、誰にもできない自分だけのファッションを見つけられたような気がして、とても嬉しかったのです。
その後は、時間があれば体験に足繁く通い、1~2年くらい、好き勝手に、織りたいように織っていました。
僕が体験で織るとなりでは、会員さんがタテ糸作りからオリジナルの作品を製作していましたが、「そんな細かい作業無理無理!」なんて思いながら、わさわさ、もじゃもじゃ、時にちまちま、織っていました。

そうして転機がやってきます。

キャンディ屋さんでの仕事を辞めることになりました。
オーナーとの確執、というと聞こえは悪いですが、どうにも僕の我が強すぎたのです。その後、オーナーとは街で会っても話をしますし、わだかまりは無いのですが、その当時の僕は、全然ダメで。。。
兎にも角にも、次のステージへ進まねば。
この道が無いのだから、違う道を歩かなくっちゃ。
そこで浮かんできたのが、手織りの世界でした。

織れば織るほどのめり込んでいく手織りの表現、工程。
タテ糸作りから自分でできるようになれば、どんなものが織れるのだろう。
そんな気持ちのまま、手織工房の会員になってやってみようと改めて門を叩きました。
そうすると、思いがけない言葉が聞こえてきたのです。

「うちのスタッフになってみない?」

つづく。

– 20代、手織りと出会うまで –

1月14日、成人の日ですね。
当時、「成人式にはちょんまげ袴で出るんだ!」と息巻いていた僕は、古着好きもあいまって全力で髪を伸ばし、それこそ、襟足が肩甲骨に届くくらいまで伸びていたころもありました。
ごそごそしてみたらあの頃の画像が出てきたのでちらり。


ちょうどハタチの頃、吉祥寺はハモニカ横丁に足を踏み入れ始めた時です。

ちなみに今はこれ。

農家のおじさん?

いやいや気を取り直して、当時は花火大会でもないのに浴衣を着ては街中を歩いてワクワクしていましてた。
僕は自他共に認める服好き、いわゆるファッション野郎だったんですね。
一般大学には行ったものの、時間があれば原宿、渋谷、青山、代官山、下北沢、高円寺、時に町田、帰郷の途中下車で柏とか、服屋があるところ所構わず行けそうな街には足を運んでいました。
毎日違うコーディネートじゃなくちゃ気が済まないし、スタイリングを考えることが楽しくってしょうがなかったです。
バンドマンに憧れて、パンクロックよろしくライブに行きまくり、ベースを弾いてバンドの真似事をしていた時期もありました。
それでも仕事として従事したのはもっぱら飲食業ばかり。
料理好きの兄と都内で二人暮らしをしていた時に、料理の楽しさ、飲み歩きの面白さを教えてもらい(教え込まれ?)始めての就職先はラーメン屋さんでした。
7時から22時半まで働き、それから仲間と飲みに行って始発で帰り、2~3時間寝てから仕事へ行く、なんて日もよくありました。
若かったなー。
そんな生活の中でも、パンツを自分で染め直したり、穴が空いたら刺繍糸でステッチ入れて直したり、古着屋巡りを続けたり、、、手を動かしながら、服に近い時間も変わらずありました。

その後、キャンディの輝きに心奪われハンドメイドキャンディーショップへ入店。
たまたまつけたテレビから流れてきたのはちい散歩。
地井さんが街を歩きながらふと入ったそのお店では、液体のキャンディが色付けされて練られ、形がどんどん変わって最後はキラキラ輝くキャンディになるまでの一部始終が目の前で繰り広げられていました。
「温かいキャンディのご試食どうぞ〜」なんて、練り上げたばかりのキャンディをびよーんて伸ばして切って試食であげてたり。
これだこれだ!
僕のやりたかったのはこれだ!
この仕事には飲食業の楽しさと物作りの楽しさと、両方があるじゃないか!
そう思ったらやってみなきゃ気が済まないのは、亥年生まれのB型だから。
スタッフ募集もしていないのに、電話をかけたり、履歴書送ったり、はたまたそのお店のオーナーが海外で修行してきたことを知ったら現地のそのお店まで行ってみて、また働きたいってお手紙書いてみたり。
若かったなー。
今さらながら、結構迷惑かけていたと思います、、、、。
改めて、お騒がせいたしました。。。
そうしてどうにかこうにか入店し、キャンディ職人への道をまっしぐらに突き進んでいた20代中盤。
とある休日、相変わらず大好きな吉祥寺の街中を歩いていた時に見つけた看板の文字に惹かれ、とあるマンションの一室に飛び込んでいきました。

—  糸、売ってます。—

つづく。

「今日の布、今日の靴」
おかげさまで無事に終えることができました。
会場となったShingoster LIVINGさん。
これまで重ねて来た年月を感じる時間ばかりでした。
物が溢れる今の時代において、本当に必要な物は何か。
必要な事は何か。

「自分にできる事をやるんじゃなくって、自分がやりたい事をやろうよ!」

オーナー夫妻の信吾さん、ようこさんと話していると、そんな気持ちが伝わってきます。
そして、その言葉は僕たちの背中をしっかりと支えてくれ、そして、隣で一緒に走ってくれているようです。

在廊の時間で出会えたお客様方からも、多くのお気持ちをいただきました。
手織りをする意味を抱きしめながら、これからも織っていきたいと思います。

17日(土)からは吉祥寺で個展です。
25日(日)の会期を終えたら、インドへ行ってきます。
帰ってきて、12月に大阪で個展を行い、今年の作家活動はひと段落。
そうしたらゴーシュのこれからの事も、ひとつひとつお知らせしてまいります。
2年目から3年目へ向かう準備を進めていますよ。
お楽しみにしていてくださいね。

グラフィックデザイン

tsutaeの展示会を来月に控え、DM製作やポストカード製作など、グラフィック関連の作業を進めています。
できないこととやらないことは違うと自分に言い聞かせ、IllustratorやPhotoshopに手をつけていますが、やればやるほどプロの方達の凄さを感じてなりません。
僕はこれまでいわゆる「物作り」と言われる職業に従事してきました。
ご飯を作ったり、キャンディーを作ったり、布を織ったり、、、、形あるものを作ってくるなかで、グラフィックという、プロジェクターと向き合いながら作業する工程に対して物作りという感覚が全くありませんでした。
しかししかし!グラフィックデザイン!
これはすっごい物作りなんですね。
やってみてはじめて感じたこの物作り感。
画面の前ではいわゆる「手で触る」質感はなくとも、完成系をイメージしながら、時にサンプルの紙と向き合い、インクの乗り具合を確かめ、写真の再現度合いを確かめ、、、、。
ポストカードでこの大変さなのだから、ゴーシュのリーフレットを作ってくれたデザイナーさんの仕事量の多さは容易に想像できます。
datoaの斉藤茜さん、改めてありがとうございます!

そして今回のtsutaeのDMも、もちろんプロの方にお願いをしております。
みなさんからどんな反応があるか、楽しみです!

手入れをする

アトリエの草刈りをしました。
2ヶ月何もしないでいたら伸びる伸びる。
草がノビル。
8月を前にズバッと整えたいと思い、お天気の中、刈りまくりました。
流れまくる汗。
メガネに滴る汗。
首に巻いたタオルを重くする汗。
汗、あせ、アセ、ASE!
1時間も作業したら息も絶え絶え、あれ?これってもしや熱中症一歩手前?!
かと錯覚するくらい自分との戦いが深まってきたので無理せず休憩。
ドクドクと波打つ鼓動、心臓。
身体にまとわりつくTシャツ。
氷をたっぷり入れた麦茶が美味しいのなんのって!
ゴーシュに来てくれた方の半分くらいから聞こえてくる声を思い出す。

「お庭の手入れ、大変でしょう」

いえいえなんの、そんなことはありません。
暮らしの場であり、仕事の場であるこの場所を自分で手入れできるなんて、
本当に楽しいことなのです。

「ポジティブなことばかり言う人なんて、なんかちょっとほんとですかー?!」

なんて思うちょいとブラックな僕もいたりするのですが、ここは声を大にして言いたい。
お庭の手入れ、超楽しいです。
炎天下の作業でだって、必要なことなんだからとっても楽しい。

独立するとき考えていたことのひとつにこんなことがあります。
「自分で使う場所は自分で掃除する。それができる範囲で仕事をしたい。」
仕事の規模が大きくなればなるほど、この思いは叶わなくなるかもしれないのだけれど、そうなのであれば、そこまで規模は大きくならなくっていいような気がしています。
たくさんのお金は得られなくっても、ちゃんと奥さんや家族が笑顔で暮らせる環境が作れればそれでいい。
それ以上に望むことなんてないかもしれない。
もちろん、作り手としてもっと世に出て行きたいし、手織りをする楽しさをもっとたくさんの人に伝えていきたい。
でも、忙しくなることでその根っこにある日々の暮らしを共にしてくれる人たちを笑顔にできないようなら、その仕事の仕方はもしかしたら間違っているのかもしれない。
だから、そうならないようにちゃんと、ちゃんとしていきたい。

だから、大きな声でもう一回言っちゃう。

お庭の手入れ、ちょう楽しかったぜー!!!!!
(まだまだ手入れするところ、たくさんあるけど)

佐々木洋品店さんのブログがいい感じ

そろそろブログ書きたいなー、と思い書くネタをあれこれ思い浮かべながらゆっくり半身浴してみたりしていたら、すっかり気合いも緩んでネットサーフィン。
少し前に知ったこちらの作り手さんが書いているブログがとってもいい感じで、ちらちら読ませていただいています。

佐々木洋品店さんのブログ  →   ◯◯◯

僕も古着好きですし、手織りを始めるきっかけは刺繍から糸に興味を持ったから。
なにやら勝手に共通項を感じたりしております。
そして何より、文章のリアリティといいますか、力の抜け方といいますか、そのまんま感といいますか、読んでいてとても心地よく、また、ふむふむ、と学ばせていただくこともありつつ、ついつい入り込んで読んでしまいます。
いわゆるメディアで知られている方々の発信される「これからの時代をよりよく生きるには!」みたいなビジネスなにやらの情報も興味深く拝読しているのですが、やっぱり佐々木さんみたいな文章、スタンス、規模感、好きだなー。
単純に親近感なんでしょうか。
ご夫婦で物作りしていらっしゃるあたりもなんか、いいですよね。
会ったことないのに、もはや出会った感高め。

ブログ力、文章力、伝える力ってすごい。